2ntブログ
2019/03/20

女性が中でイクために

まず大事なことは、目をつむること。

 

イケない女性の多くは、自分の経験では、セ/ックスの際に、目を開けている人が多いように思います。

 

たまにキスのとき、目をつむらない女性も居ることは居ますが、多くの女性はキスのときに自然と目を閉じます。

大勢が目を閉じるから、アナタも目を閉じなさいと言っているわけではありません。

多くの人は、唇に触れるものを感じたくて、集中したくて、自然と目を閉じてしまうのです。

目で見て、視覚的に今自分の相手が何をしている(しようとしている)という状況を、確認するわけではなく、目をつむって、自分が触れる感覚に、聞き耳を立てるのです。

 

自分の身体の感覚を通して、相手を感じようとし、そこに神経を集中するわけです。

耳を澄まし、そして、聞き耳を立てる感覚であり、暗闇の中で、手で何かに触れる感覚です。

 

オーガズムにしても、エクスタシーにしてもそうですが、これらの感覚は、尖がったものが当たって 「痛い」 と感じたり、お湯の温度が高くて 「熱い」 と感じる感覚とは異なるものです。

自分でイキたいと願い、そして、いろいろな条件が重なったときに、初めて感じる感覚なのです。

 

自分で、その気持ちの良い感覚を探さないと、見つからないのです。

 

***

 

例えば、自分では、クリでもイケるし、中でもイケた経験のある人であっても、男女のセ/ックスにおいて、イケるかと言うと、そう簡単ではありません。

 

女性は、ちょっと集中が途切れると、男の腰にまたがって腰を振っている最中でも、

 

   「あっ、今晩のおかず、何にしよう?」

 

とか

 

   「〇〇を忘れずに、買って帰らなきゃ・・・」

 

みたいなことを考えてしまうのです。

 

まさしく、座禅を組んでいる最中であれば、背後から 「喝!」 と警策(きょうさく)と呼ばれる棒で肩を叩かれる状態に、何度も遭遇してしまうのが、女性の性なのです。

 

そもそも、太古の昔、ヒトは決して強い動物ではありませんでした。

ましてや、肉体的にも弱い女性の場合、常に周囲を警戒する必要があったのかも知れません。

女性の遺伝子に刻まれた、そんな太古の記憶が、どうしても 「不安」 や 「心配」 となって表れてしまうのでしょう。

 

女性がオーガズムを迎える場合は、まず、女性の理性や社会性をつかさどる前頭前野が停止し、最後に人の不安や恐怖をつかさどる扁桃核が停止をした後に生じます。

オーガズムを迎える女性が、イッた回数を含めて、イク寸前の細かいことをほんやりとしか覚えていないのは、前頭前野が機能的に停止しているためなのです。

 

目を開けていると、セ/ックスに集中出来ないばかりか、自分で全てをコントロールしようという意識が働いてしまうのです。

しかし、自意識を働かせているうちは、逆に前頭前野が働いてしまうのです。

 

「恥ずかしい」 ことを 「嫌!」 と拒否する女性の場合は、自分で自分を律して、みすみす 「オーガズム」 を逃しているようなもの。

むしろ、「恥ずかしい」 気持ちに襲われて、頭の中が 「真っ白」 にでもなってくれた方が、「オーガズム」 には到達しやすいのです。

特に 「中」 でイクためには、この傾向が強くなります。

 

女性が 「オーガズム」 を迎えるということは、思考が止まり、記憶もあいまいな状態に持っていくことですから、常に自分を律したいと強く思っている女性の場合、自我や理性が、「オーガズム」 に達するのを許してくれないわけです。

 

女性が、「オーガズム」 に達する場合、まずは、数を数えられなくなります。

記念日や過去の記憶であれば、細かい日にちまでを覚えるほどの女性が、数も数えられなくなるのです。そして、そのときに話した会話を覚えていなかったりします。

そのような形で、前頭前野の機能が低下し、最後に扁桃核の機能低下の段階になると、女性は 「怖い」 と言ったり、「イヤイヤ」 を始めます。

このとき、まずほとんどの女性は、そう言うことを言った記憶すら、なかったりします。

そして、この極度の緊張の中で、いっぱいいっぱいになり、急に力が抜ける状態になるのが、「オーガズム」 なのです。

 

男性は、ここで女性が 「イヤイヤ」 をするからと言って、止めてはいけません。

勿論、他の健康上の理由から、何等かの苦しみを訴えている場合は、即座に中止しなくてはなりません。男が女性をイカせるためには、きちんと女性の状態を見守り(観察し)、きちんと正しくリードしなくてはいけないのです。

 

そして、女性にとって男性は、信頼を置ける相手でなくてはいけないのです。

それは、どういう意味かと言うと、自分で自分のことを掌握出来ない状況であっても、相手のことを信じ頼ることの出来る存在でないと、ならないということです。

少なくとも、女性に何か問題が起きたときは、適切な処置をしてくれると信じられる相手であること。なんか問題が起きたら、女性を一人置き去りにして、逃げてしまったり、あるいは、その問題を他人のせいにするような男では、それこそ心配で、その男を頼ることが出来ません。

 

「信頼」 とは、信じて、相手に自分を委ねるということです。

 

勘違いしないで貰いたいのは、セ/ックスにおいて、人生を委ねる必要はないということです。

大事なのは、男性の指示が適切であることが前提となりますが、男性の指示をきちんと女性が受け容れることです。

そして、自意識や自我のレベルでも、きちんとそれを受け容れることです。

 

これは、ペアのダンスに良く似ています。

男性が女性をリードしているのにもかかわらず、女性がそのリードを受け容れず、対抗していたとするならば、当然、そのペアの踊りは、ぎくしゃくしたものになります。

また、女性が男性に身体を委ねるところで、恐怖心があれば、女性は中途半端にしか、委ねることが出来ません。

 

セ/ックスは、ジャズのようなものです。

メインの人のプレイにあわせて、音を重ねて行くのです。

そして、そこでまた、リードする人と、リードに追従する人の間で、会話するように、音を楽しむのです。

セ/ックスは、自分一人が気持ち良くなるための行為ではなく、まず相手を気持ち良くさせて、そして、相手と気持ちを併せることで、みんなで気持ち良くなる行為なのです。

そこで重要なことは、コミュニケーションです。

セ/ックスは、心と身体のコミュニケーションなのです。

 

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どんな男でも、セ/ックスで、女性をイカせることが出来るわけではありません。

きちんと女性をリードすることが出来なければ無理ですし、

楽器も高級な楽器であれば、それだけ良い音が出ますが、しかし、その楽器を使いこなす技術も重要です。

そして、それだけで良いハーモニーを作り上げることが出来るかというと、そうではありません。

メンバーときちんとコミュニケーションが取れることも重要なのです。

 

「オーガズム」 を経験したことのない女性であっても、イキづらい女性であっても、ひとたび、そのコツを掴んだら、あとはそれを繰り返し反復していくことで、イケるようになります。

 

医学的に、どのような状態を 「不感症」 と呼ぶのかは分かりませんが、心の問題を除けば、多くの場合は、そういう 「感じる訓練」 をしてこなかっただけ、だと理解しています。

 

***

 

自分でクリに触れても、あまり気持ち良くならないという女性の場合でも、その分、中の方で感じやすくなる女性もいますし、ア/ナルで感じる人もいます。

逆に、シャワーをアソコに当てて、気持ち良くなることを繰り返していると、身体がシャワーの刺激に反応するようになってしまい、通常の男性とのセ/ックスでは、イケなくなってしまう人も居ます。

そういう人に求められるのは、男性とのセ/ックスで得られる刺激がどれなのかを、自分のカラダに問いかけて、矯正することなのです。

 

***

 

SM で何故、多くの女性が何回も激しくイケるようになるのか。

SM における 「多重イキ」 は、現実に存在します。虚構でも都市伝説でもありません。

 

緊縛の場合は、縄で身体を拘束し、自由を奪うことによって、その受け手が縛り手に対して身も心も委ねる素養を作っていますし、主従の場合は、自分(従)は人間以下の存在であり、主の命令は絶対ということで、従者の自我を抑制し、リードしやすい状況に持っていっているわけです。

 

緊縛であっても、そこには、会話(コミュニケーション)が発生します。

しかし、飴と鞭。甘い会話ばかりが会話でもありません。

そして、ときには愛を見せ、ときには誠意を見せ、ときには人間らしさも見せ、ときには鬼畜にもなり、受け手の心を震わせるわけです。

 

それは、旧約聖書における全知全能の神ヤーウェと同じなのです。

 

ときには、ソドムとゴモラを破壊するほどの鬼畜さを持ち、しかし、その都市からロトの家族を逃がすだけの情けもあり、そして子孫を残すために、ロトにお酒を飲ませて、お父さんのアソコに跨ってしまう姉妹も祝福されているのです。

イエスですら、不倫をして石打の刑に処せられている女性に対して、石を投げ入れようとする人達を追い払いました。

石打の刑は、不幸にも頭に石が当たり、命を落とす人も居たでしょうが、逃げ果せた場合は、そこから深追いをすることはせず、それで刑は終了となりました。

 

イスラム教に限らず、ユダヤ教にも、割礼という儀式があり、男児の場合は、アソコの皮を、女性の場合はク/リを切られるという話を聞き、「何て不合理な慣習なんだろう」 と思いましたが、今は、女性のク/リを切除し、膣内の迷走神経を発達させるための手段であったか、あるいは、オ/ナに走らせないための手段だったのではないかと考えるに至っております。

 

話が変な方向にまた、行ってしまいました。(苦笑)

 

宗教の話は、どうでも良いのですが、女性が 「中」 でイクためには、どういう条件が求められるのかを整理してみました。

 

***

 

クリは確かに、女性が快感を感じる器官の代表格ではありますが、「中イキ」 を経験した多くの女性は、「中イキ(膣イキ)の方が、外イキ(ク/リイキ)よりも何倍も気持ちいい」 と言います。

 

とあるブロ友さんが、クリイキから中イキにどのように移るかを解説していましたが、それは、その人の体験であって、万人に通用する話だとは思っていません。

クリイキが出来ている人は、そのアドバイスを聞いてみる価値はあると、思っています。

 

みんな、心の中もおおざっぱに見れば同じようでいて、しかし、細かい部分では、当たり前ですが、みんな異なります。

 

自分は 「試してみたけど、駄目だった・・・」 とため息をつく人を増やしたくないのです。

 

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実際に、「中どころか、ク/リでもイケない女性」 でしたが、最終的には 「中イキ」 で何十回もイケるようにし、指の股への刺激や乳首に対する刺激だけでも、イケるようになった女性が居ます。

 

彼女からの相談を受けて、初回のときにですが、彼女のアソコ自体は、イっていることを確認しました。

膣オーガズムでは、膣は痙攣し収縮して、膣壁は狭まり、子宮は押し出そうと、男のアレを押し出そうとします。

その、動きは確認できたのですが、本人はその快感を感じ取れていないのです。

同じように、膣オーガズムがあり、そして、骨盤底筋や太腿を痙攣させていても、快感を感じとれていない女性も居ました。

 

肉体的には、反応しているのに、快感の刺激を感じることが、出来ていないのです。

 

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中には、自分が苦しくて、挫折する人もいます。

 

   「中イキに何の意味があるの?」

 

自分は、男なので、説明できません。(苦笑)

女性のオーガズムは、今は、脳の fMRI で計測出来ますが、男性の其れは計測できないほど、小さく短いものなのです。www

男も、ドMで、ドライオーガズムが出来るようになると、また違うそうですが、自分は、自分が得る快感には、さほど興味がありません。

どちらかと言えば、美しく流れるペアダンスや、白熱したジャズセションではありませんが、そちらが奏でるハーモニーの方に興味があります。♪

 

若い女性と話をしていると、

 

   「いつか、セ/ックスでもイケるようになるよね?!」

 

みたいなことを尋ねられることがあります。

 

そういうときは、誤魔化したりしていますが、「中イキ」 について言えば、やはり、そう多くはないです。

世の中の多くの女性が、「いつかはイケる」 と信じつつ、実際は、イケないで終わっている人が山のようにいるのです。

 

別に、「中イキ」 出来ようが出来まいが、それは本人がどれだけ求めているか、だけなのです。

 

人生と言うものは、「自分が諦めた時点」 で確定するのです。

株で損した得したと同じです。

 

そして、多くの女性が、自分で道を探り、最短で辿り着こうとして、エゴを増長させて、その結果、オーガズムからどんどん遠ざかるという道を歩んでいるのです。

 

女性の性の基本は、M です。

 

磁力の SN と、男女の SM は同じようなもの。

極性です。

 

社会における極性と、男女のセ/ックスにおける極性は、異なるということ。

 

今の資本主義社会が、「ジョルジュ・バタイユ」 的に 「ケ」 なのであれば、男女のセ/ックスは 「ハレ」。

自分は、どんなに女性が社会的に24時間戦う体制を取っていたとしても、社会的にはそれで良いのですが、男と女の世界になったら、素直な自分、「ハレ」 の自分に戻る必要があること。

そう理解しています。

 

社会的に男女同権になればなるほど、女性も鎧を着だします。

そのような社会では、フランスのように、プライバシーがとても重要なのです。

日本の場合は、まさしくフランスの逆。

プライバシーを晒して、喜ぶのです。

そもそも、根源にあるのは、昔の中国で言えば 「四人組」、日本的に言えば、周囲と比較する村文化があるのです。

 

フランスは、ある意味 「ドライ」 なメンタリティだからこそ、社会制度的には、私生児を含めて、未婚の母のサポートも行きわたっているのです。

 

その点、日本人は貧しいし、コリアンみたいに卑しい。

不正受給が悪いのは、当たり前だけれども、それを理由に、生活保護やセーフティーネット、あるいは、社会制度自体を否定しようとするのです。

 

表向きは、「おもてなし」 とか言いつつです。

 

***

 

結局のところは、対面ばかり気になる人も、自分ばかりが気になる人は、イケないし、

一生懸命生きて、燃焼している人は、イケる・・・・

 

相手に委ねたくても、相手に100%を求める人は、イケないし、

今に感謝を感じる人は、いくらでもイケちゃうわけなんです。w 

 

そもそも、日常の生活が喜びに溢れていたら、自分がイケるイケないなんて、どうでもいいことですし、そんな余裕もない人にとっては、どうでもいいことなんです。

 

なので、自分的には、女性がイこうがイケまいが、どうでもいい。

 

でも・・・・

 

女性として生まれたからには、一度でイイから、オンナの喜びを味わってみたい。

 

そういう方には、アドバイスしますので、ご連絡ください。

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