2ntブログ
2019/01/09

観念から外れる、ということ

ヒトは「アダムの園」で蛇に騙されて以来、頭と身体が乖離しています。
それゆえに、科学的にも発展してきたわけではありますが、その結果、動物よりも多くの不安を覚え、そして目に見えないがゆえに、科学的に言うと観測できないがゆえに「神」をも恐れぬ存在となりました。

ヒトは英知を結集し、社会を作り上げて、肉体的な強弱を乗り越えて来ました。
ヒトの観念や想念は「苔(こけ)の一念、岩をも通す」ではありませんが、それだけの強い起爆力をもっています。しかし、それは「真理」ではありません。
岩を通した苔の裏には、岩に玉砕し、砕け散った多くの苔の存在があるのです。

その時代の観念や想念は、ハイカラに言うと「トレンド」ってやつです。
サーフィンを経験したことのあるひとなら分かると思いますが、波に乗るタイミングが重要。
しかし、どんな古めかしい想念にも、その古めかしい時代の美徳があり、そして、それを今にあてはめると、「温故知新」ではありませんが、また新しい発見があったりするもの。

ヒトの人生も流れていますし、時代も流れているのです。
いよいよ「平成」の世もおわり。

自分の人生が、思うようにいかないと思っているアナタ。
観念がアナタの行動を縛っていませんか?

わたしは不幸せだと思っているアナタ。
観念でものごとを計っていませんか?
アナタの身体の感覚で感じていますか?

大切なことは、情報をそのまま「思い込まない」こと。
自分の身体で感じるということです。

今、食べている食事の味を、感じることも出来ず、
目の前にいる男の味や女の味が、分かりますか?

大切なことは、「情報」というものは、災害時などの流言(デマ)もそうですが、その確からしさは、自分で確認できるようにならないといけません。
どうしたら確認できるのか?
それは、自分の肉体の感覚との整合性から始まり、今までの経験との違和感なのです。
自分の人生の基軸は、自分の経験に基づく、自分の感覚と自分の判断による…と言うことなのです。

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SM とは?

ヒトの一番根底にある、生と死の葛藤の世界であるように思います。
なので、分かる人には分かるけど、分からない人には、全然わからない。

そして現実的には、傷付いた人が、復活する場でもあるように思います。

肌で、身体で感じる感覚こそが重要…

痛みを与える方は、それを自分で「感じる」ことの出来る人でなければならないのです。

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人が「生きる」と言うことは、社会の観念でもなく、そのひとの想念でもないと言うこと。

人が「幸せ」に感じる快感は、生理学的な人間の本能である「食」と「睡眠」を除けば、「性」を含め、全てが自分の身の回りに居る人によって与えられているというのが、現実なのです。

観念や想念で、他人を計らないこと。

大事なのは心の繋がりであり、それを観念や想念に邪魔されず、素直に身体で感じることなのです。

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