お葬式
そう言えば、とある子が、伊丹十三(いたみじゅうぞう)監督の 「お葬式」 と 「たんぽぽ」 の映画でのエロいシーンが、多分、自分の変態の 「種」 になった・・・と言っていました。
「お葬式」 では、森の中の家でお葬式をしてて、その最中に黒縁メガネの地味な女性が森の中でエ☆ッチをしているというもの。
そして、もうひとつの 「たんぽぽ」 の方では、役所広司が女性とホテルの一室で、女性が裸で寝ていて、股間に生きた海老を置いて、それにドレッシングを掛けて蓋をすると、海老がピチピチ飛び跳ねるというシーンに強い嫌悪感を感じたそうです。
掛けているのは、ドレッシングではなくて、紹興酒。
これは、「酔蝦(ツェイシア)」。通称 「酔っ払い海老」 と呼ばれる中華料理のようです♪ (1:20/3:26)
「お葬式」。
別の、とある子は、元カレに初めて会ったとき、
「俺さぁ、死んだらお葬式に来てほしいんだよねー
今まで付き合った人みんなに来て欲しい
見送って欲しいんだよねー」
と言われたことをブログで回想していました。
「ふ~ん、そんな人もいるんですね~」 としか言いようがありません。と言うか、「付き合った人リスト」 みたいなもんでも作ってるんでしょうか?
そうだとしたら、実に怖いです。(^^;)
しかも、自分がくたばる前に、そんなものが家族にでも見つかった日には、死んだフリでもしないと、とてもじゃありませんが、目も当てられたもんじゃありません。(苦笑)
自分が愛した女性であり、そして、それに応えてくれる(た)女性達なら、自分の 「訃報(ふほう)」 がなくとも、きっと胸騒ぎか何かで、感じてくれる筈。
その時に、自分の元を去った奴隷であろうが、それまでずっと付いて来てくれた奴隷であろうが、ふと、自分との時間を思い返してくれる女性が居れば、それだけで幸せです。
あのとき、「一緒に美味しいものを食べたな~」 でもいいんです。
自分がくたばったなら、自分は単に、女性達の 「過去」 になるだけなのです。
そして最後に、「お葬式」 と言えば、以前、とある愛奴より、半分冗談なのか真剣なのか、安倍定の記事 「愛のコリーダ」 と 「愛のコリーダ(2)」 を書いたときに、
「葬式に行って、こっそりアソコを切り取りたい・・・」
と言われたことを思い出しました。(苦笑)
まあ、何を考えようが、人それぞれ。(笑)
人間は統計的に見れば、女の方が男より、ずっと長生きです。
妊娠・出産における生死のリスクがありながらも、それに持ち堪えることが出来れば、男性よりもずっと長く生きるのが女性です。
***
自分が、「人の寿命」 を意識するようになったのは、まず自分の 「父親の死」 が影響しているかも知れません。享年67歳でしたから、若いというほどではありませんが、まだまだ、頑張れる歳です。
あとは、以前勤めていた会社での同僚の 「訃報(ふほう)」 です。
自分が40代の頃です。1人は、自分より1歳上。もう1人は、何歳か下の同僚でした。どちらも健康上の問題ではありましたが、同じ事業所内で、仕事の絡みがあっただけに、立て続けに受けた自分の知り合いの訃報は、他人事とも思えず、我が身のことを思いました。
もう、自分も、五十路も半ば。
自分の若い頃に比べれば、かなり衰えは感じますが、だからと言って、その辺のガキにはまだまだ負けません。(←老人の冷や水?苦笑)
とは言え、自分の親父を基点にすると、自分の余命は、あと12年くらいでしょうか?
だからこそ、「今」 を悔いなく精一杯生きたい。
「宝くじ」 も当たらない代わりに、もし、余命が伸びたなら、そのときに考えます。(笑)
「出来ることは、出来るうちにやる。」
今、「この歳」 にして言えることは、
「人生立ち止まり後ろを振り返って、
自分は歳を取ったと納得した時点で
爺婆だと言うこと。」
***
「吊り床」 の下に畳があるかも知れませんが、自分の場合は、所謂(いわゆる) 「畳の上」 で死ぬつもりは毛頭ありません。
女性を上に乗せることはしても、女性のお腹の上でも、決してくたばりません。(苦笑)
終わりの時が来たら、「坂本竜馬」 ではありませんが、どっかその辺で、
「前のめりで、くたばりやんす(笑)」
「墓」 に入りたいとも思っていませんし、誰かが拝んでくれることも期待していません。最悪、「焼却ゴミ」 でも何でも構いません。(苦笑)
「お葬式」 とは、残された者同士が気持ちを整理するための儀式に過ぎません。
本人が、くたばったあとの話なんか、気にするだけ阿呆です。
大事なのは、生きている 「今」 です。(笑)
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