2ntブログ
2017/11/25

「お仕置き」 と 「罰」 の違い

自分とはかなり年齢も離れていますが、「某 SNS」 上に、自分のことを 「兄ぃ」 と呼んでくれる可愛い娘がいます。

昔、出会った頃は 「ドMちゃん」 だったと記憶していますが、結構、根がしっかりとしてて、好奇心旺盛な子。そして何よりも彼女独特の 「感性」 が素晴らしい子。

ちなみにその子には 「主」 が居ます。自分は、主に断わりもなく、会ったりはしませんので、もし 「主」 が、この記事を読んでいたとしても、ご安心のほどを。(笑)

まあ、軽く声を掛けて、ノコノコと付いて行くようであれば、「飼いきれていない・・・」 とも言いますが、彼女はそんなタイプではありません。(笑)

 

その 「ドMちゃん」。最近は、同性間の恋愛にはまっているようで、どうやら、同性同士では 「タチ」 と 「ネコ」 の 「タチ」 側に廻るようなのです。

女性同士の場合、「タチ」 に廻る子は 「S」 です。基本、女性には 「M性」 が備わっていますが、「S」 と 「M」 の両性を持つ女性もいます。

 

その子と 「某 SNS」 でお話をしたとき、その子が、とある 「M 女」 のネコを責めたときの会話です。

そのネコは、ドMなので、そのままプレイで苛(いじ)めてしまうと、喜んでしまう。

なので、「反省文」 を書かせて、それを近所の夜の公園に持って行かせて、公園の中央で 「反省文」 を口に咥えさせて、それから 「お☆ぱい」 を露出させて、それで、キツネが 「コンっ!」 とやるような格好で 「自撮り」 させて、自分に証拠として送らせた・・・・

と言っていました(注:間違ってるかも知れませんが、出来るだけ忠実に記憶を再現しました)www。

 

彼女は、

「その子が好きな責めだと、ご褒美になっちゃうし・・・。一生懸命考えた・・・」

と言っていました。「某 SNS」 の会話上、「がはははははっ(笑)」 と笑い飛ばしてあげましたが、なかなかセンスのある子です。(^^)/

 

SM で区別するのが、「躾(しつ)け」 と 「罰」 の違いです。人によっては、「躾け(discipline)」 と 「罰(punishment)」 を区別しないで使っている人も多いでしょう。

自分は、自分の愛奴を可愛がりつつも、躾(しつ)けるときは 「お仕置き」 と呼び、愛奴を真剣に叱るときは 「罰」 と呼んでいます。

「罰」 とは、「罪」 に対する償(つぐな)いです。

一方の 「お仕置き」 とは、「躾け」 なのです。「躾け」 は、当然ですが教育的であるがゆえに 「愛」 があります。

「罰」 の度合いが高まっていく毎に、「愛」 の度合いも消えていきます。

 

彼女が、当時の 「ネコ」 に与えたのは 「罰」。

反省文の内容は分かりませんが、それと同時に多分、そのネコのプライドを挫(くじ)きたかったのでしょう。彼女は、その 「ネコ」 のプライドを 「不要なモノ」 として認識していた可能性があります。

彼女は、「ペナルティ」 として、「ネコ」 が嫌がることを課したわけですが、そこには 「反省しなさい!」 という意味合いが込められているだけではなく、彼女に対する愛があるのです。

 

***

 

しかし、厄介なことに SM では、「お仕置き」 と言うと、「ご褒美」 と取り違えてしまいがち。なので、自分の場合は 「お仕置き」 と 「罰」 という言葉で使い分けています。

 

厳密には、「仕置き」 という言葉も 「行政の執行」 を表す古い言葉で、「仕置く」 という言葉が 「刑罰」 の執行の意味で使われるようになったのは、江戸時代あたりからだそうですが、今の時代は、「月に代わってお仕置きよ!」 ではありませんが、かなりテイストが変わってしまっています。実際に 「お仕置きだなっ!」 と言ってみても、目を潤(うる)ませる女性の方が、圧倒的に多いのが現実です(笑) どんな 「ドS」 も時代の波には逆らえません(苦笑)

 

あと、SM においては、「お仕置き」 と言うと、「肉体的な責め」 を指すと言ってもいいかも知れません。この場合は、一言で 「お仕置き」 と言っても、「ご褒美」 である場合と、「罰」 としての 「責め」 の両方の意味合いが含まれます。

とは言っても、SM では、両者の合意が基本ですので、「受け手」 が無理と言っている行為を無理強いすることは、信頼を損(そこ)ねる原因ともなり、望ましくありません。

 

では、「お仕置き」 が 「肉体的な責め」 であるとするならば、「罰」 はどのような責めになるのか?

 

この場合、「罰」 とは 「精神的な責め」 以外にはありません。

 

「肉体的な責め」 においても、プレイがハードになれば、精神的な重圧も増してきます。

結局は、「肉体的な責め」 に重きを置いているか、あるいは、「精神的な責め」 に重きを置いているかが重用だと言えましょう。

 

「躾け」 とは所作(しょさ)であり、立ち振る舞いです。挨拶や礼もそうです。

SM における 「躾け(discipline)」 とは、目標やルールを決めて、きちんと出来ない場合は、「罰(punishment)」 が与えられるという、ひとつの 「SMプレイ」 形態を指しますが、しかし、「主従関係」 における 「躾け」 は、プレイの中だけではなく、日常的なものです。

「躾け」 を惰(おこた)ってはいけません。

 

「奴隷」 が 「主」 の顔色を伺うようでは、やり過ぎですが、しかし、「奴隷」 が 「主」 と対等であると勘違いさせるようでは、いけません。(苦笑)

 

そして、言わば究極の 「罰」 は何か?

 

自分が奴隷に対して示す一番過酷な仕打ちは、「沈黙」 です。

「放置」 であっても、まだ指示なり、期待がある以上は、そこには 「愛」 があるのです。

「受け手」 が、「責め手」 の 「愛」 を感じ、そして、「受け手」 が 「責め手」 に 「愛」 を返すのです。それが 「SM」 です。

 

「叱責(しっせき)」 する場合も、「不満」 を言う場合もありますが、例え 「沈黙」 されたと思っても、本人が 「奴隷」 であると思う限りは、そこに 「コミュニケーション」 が続く限り、関係に 「終わり」 はありません。

 

何故なら、「主」 から解放されるまでは、「奴隷」 はずっと 「主」 の所有物であり、財産だからです。

 

 

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