2ntブログ
2017/11/18

「主従関係」 と 「SM」

最近、彼氏と 「主従関係」 にある・・・という女性の方から良く相談を受けます。

一方で、SM で責めて貰いたいけど、「主従関係」 は無理・・・という女性の方もいます。

 

「主従関係(DS)」 と 「SM」 は違うものなのか?

 

まず言葉と用語の問題について説明しておきます。

 

日本では、「あなたは、S?それともM?」 みたいに単なる 「我の強さ」 を、S だの Mだの品評する 「おかしな慣習」 が流行してしまいましたが、「サディスト(Sadist)」 や 「マゾヒスト(Masochist)」 という言葉は、その人が元来持ち合わせる性的趣向を表す意味もありますが、精神疾患とされる性的サディズム・性的マゾヒズム患者と混同を避ける意味もあって、現在では(特に海外では)あまり使用されていません。

これを補完する言葉として、以前は、日本語における 「責め手」 と 「受け手」 と同じ意味で、「ドミナント(dominant)」 と 「サブミッシブ(submissive)」 という言葉が使われていましたが、それでも、先ほどの 「主従関係は無理!」 ではありませんが、「主従(従属)プレイ」 と混同されやすいためか、最近では、「トップ(top)」 と 「ボトム(bottom)」 という、より曖昧(あいまい)で抽象的な言葉が使われています。

呼び方も時代と共に、変遷しているわけです。

 

日本で言われる 「SM」 は、海外では 「BDSM (Bondage, Discipline, Sadism Masochism)」 あるいは、支配と従属の意味の 「DS(Dominance and Submission)」 を加えてBDSM&DS とも呼ばれたりしますが、DS は新しいものでも何でもなく、そもそも、SM カテゴリーの一部です。

 

呼び方や分類が整理されることはあっても、本質は何も変わらないということ。

 

SM も DS も根は同じ

 

SM と言うと、どちらかと言うと肉体的な苦痛や刺激を与えるという印象が強いのかも知れません。しかし、心理的な軋轢(あつれき)を加える場合もあれば、必ずしも、苦しみや痛みが伴うばかりではありません。「痛いのは嫌っ!」 という人も、決して少なくありません。

 

一方、DS にこだわる人は、その逆で、支配と服従における心理的なものを重視しているのかも知れません。従者を机にして、例えば足であったり、モノを机に乗せる。

とても静かな光景ではありますが、従者は既にその時点で支配されており、足なりモノが退(ど)かされない限りは、ずっとその従属行為が続くわけです。

ご褒美は、足を舐めさせることであったり、性的に奉仕させることもあるかも知れません。

 

従者は、粗相(そそう)なく務めようとし、支配者はそれを気分によっては邪魔しようとします。

粗相すれば、当然お仕置きが待っています。

 

主従関係に基づく 「SM調教」 は、そもそも精神的には支配従属(DS)の関係にあり、そして、そこに 「躾け(Discipline)」 的な要素が加わり、肉体的精神的な 「責め(SM)」 という行為が行われる世界です。

当然、責めの中には、「動」 もあれば 「静」 もあります。

自分的には、SM 的要素も DS 的要素も相互に不可分で、「一連の流れ」 というか 「関係性」  があるものなのですが、どうやら、そういう人ばかりではなく、肉体的な刺激あるいは衝撃としての SM を欲する人と、「支配されたい」 という精神的充足や忍耐を欲する人も居るようです。

 

縄の世界にも、縄に傾倒するがあまりに、「緊縛は SM ではない」 と言いだす人もいます。

そういう人は、多分 SM というものを理解していないか、理解出来ていないだけなんだろうと思いますが、縛られて酔う人もいれば、叩かれて酔う人もいるのです。

 

自分の好みを、きちんと相方に伝えることは大事ですし、「痛いのは嫌っ!」 と言う人に対して無理やり、痛いことはしたりしないのが鉄則の世界ではありますが、しかし、脳内麻☆薬が頭の中に溢(あふ)れているときは、痛みを痛みとして認知されるのと同時に、快感に変換されることも知らない 「喰わず嫌い」 の人に言われたくはありません。

まあ、「ウニや蟹ミソなんて、人間の食べ物じゃないっ!」 程度ならば、多くの人がその味を知っているだけに誤解を招かないのですが、SM などは、マイノリティの世界であるだけに、言葉を慎んで 選んで 貰いたいもんです。(苦笑)

 

偏向している人達

 

それぞれは、その人の好みですし、その人の 「性癖」 と言ってしまえば、それまでですし、そもそも、性的に偏向している自分が、他人のことをとやかく言えたものではないのですが、しかし、自分的には、「支配従属」 の精神を受け容れられずにノコノコ?と 「SM 調教」 を希望してくるタイプの人達の感覚が、未だに良く理解出来ずにいます。

 

「SM 倶楽部に行って、肉体的な責めを受けて喜んで帰ってくる・・・」 ような感覚なのでしょうか?

 

SM 倶楽部に顔を出す客の中にも、肉体的な刺激だけを求めてくる人と、精神的なものも含めて委ねたい・・・という願望を持って訪れる人がいると思います。

「SM バー」 や 「縄会」 などで、特定の縄師に 「縛られたい(委ねてみたい)」 という感覚を持って縛られるのであれば、それは一種の 「支配従属」 の ”空気” だと思っていますが、決して、そういう人ばかりではないでしょうし、中には、自分が何を求めているのかさえも、自覚出来ていない人も、少なからずいることでしょう。

 

単に刹那的に、肉体的な刺激を求めて来るのか、それとも、女心のスイッチが入ったときの甘すぎる ”苦しみ” を 「イヤッ!」 と言うほど過去に味わっているから 「やばいっ」 と直感しているから去っていくのか?

自分的には、前者のような印象が強かったので、

 

        「それなら、きちんとお金払って SM 倶楽部にでも行って

        女王様に責められて来なよ」

 

と思ったりもしましたが、まあ、「縁」 がないものは仕方がありません。(苦笑)

まずお話をして、お互いに信頼を醸成した上で、実際に会ってみているわけですし、会ってみて、それで、「これじゃないっ!」 と思うならば、正直に言ってくれたほうが、こちらの勉強にもなると言うものです。

 

いずれも、離婚経験のある、ちょっとキャリアを積んでます系女性だったので、過去にいろいろと男性と面倒なことがあったかも知れませんし、もしかしたら、そこで 「支配と従属」 のような ”言葉” に嫌悪感を抱いてしまっているのかも知れません。あるいは、怖いもの見たさであったのか、それとも、お試しに過ぎなかったのか。

 

いずれにしても、自分が未熟であったからに相違はないのですが、今でも戦闘服を脱げずに彷徨(さまよ)っているのかと思うと、可哀想でなりません。

 

***

 

SM における ”支配と従属” とは 「本能」 の叫びです。そして、それはガスを抜くために、人間が ”壊れる” ひとつの仕掛けであり、SM とは、お互いが壊れて、ガスを抜き合う行為なのです。
そして、それは、単に肉体的な刺激ではなく、相手に対する信頼と、後付けでもいいので、心が伴う必要があるということ。壊れてガスを抜いた後で、また戦闘服を身に纏(まと)えば良いのです。

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