2ntブログ
2017/07/23

NTR(寝取られ・寝取らせ) 考

最近俄(にわ)かに注目を浴びてきたのが、「NTR (寝取り)」 と呼ばれるジャンル。

状況的には、男女の既成カップルに対して、寝取る男が1人単独参加するカタチを取りますが、カップルの男性が被虐を味わうことを楽しんでいるのか、それとも、寝取る男も含め、場を支配することで満たされるのかによって、それぞれ、「寝取られ」 および 「寝取らせ」 と呼び方が変わるようです。

 

まだ、比較的新しいジャンルであることもありますが、いろいろな趣向や主観的要素が絡み合うためか、きちんとした明確な枠組み規定のようなものは未(いま)だにないようです。

しかし、いずれにしても、「寝取る」 という言葉から、究極は、女性が最初は拒絶していようとも、最終的には、女性がその男に魅了される必要が出てくるわけです。このため、”実際のプレイ” においては、寝取る側の男となる 「間男(まおとこ)」 と女性の間には、多少、女性の意図に反する展開はあったとしても、最終的には、女性が許容する状況であることが前提とされているようです。

では、その女性は、その寝取りの行為が 「プレイ」 であることを知っているか否か。それは、知ってても、知らなくても、あまり関係ないようで、趣向次第といったところでしょうか。

 

では、この比較的新しいジャンルである 「寝取り寝取られ」 あるいは 「寝取らせ」 は、SM なのでしょうか?

性的な行為を介して、主として男性が、それぞれ、精神的な被虐感を味わったり、支配欲を満たしているわけですので、一種の SM プレイと言えるのかも知れません。

 

過去の SM においても、「奴隷市場」 における 「性奴隷売買」 あるいは 「貸し出し」 みたいな 「寝取らせ」 に類似する行為はありました。

自ら手塩に掛けた 「奴隷」 をオークションにかけるのは、調教師としての 「作品」 のお披露目の意味がありました。そして、そこでの高値取引は、調教師に対する評価であるのと同時に、その作品である 「女性」 に対する評価となるわけです。

一方、この 「奴隷市場」 において、売買の取引対象となるということは、「奴隷」 たる M 嬢にとっては、自分が人間以下の存在であることを確認すると同時に、多数の人に晒されることで羞恥を受ける場であります。誰の手に掛かるか解らない恐怖。そして、売れれば売れたで 「絶望」 を味わい、売れ残れば売れ残ったで 「無価値」 である烙印(らくいん)を押されるという点で、結構、心理的にハードルの高い、ハードなロールプレイに分類されています。

「貸し出し」 の場合は、主が貸出す先の相手を確認できるという点において、「奴隷市場」 の前段的なプレイと言えます。

 

では、「寝取られ」 の方は、どうでしょうか?

これも現実的には、「貸し出し」 プレイの一環として実現していたのではないでしょうか?要は、「寝取られ」 行為も 「寝取らせ」 行為もどちらも、カップルと単独男性が存在し、カップルの男性が、相方である女性と単独男性を結びつけるという構図自体は変わらないわけです。

事前に、カップルの男性が、女性と単独男性の双方にそれぞれ、けしかけるような場合もありますし、仕掛ける側であるカップルの男性が気付かないフリをし、当人達には分からないように、二人だけになるような状況を作り出すことで、仕掛けるような場合もあります。

仕掛ける側の男性の狙いが、「寝取られ」 目的なのか、あるいは 「寝取らせ」 目的なのかを、単独男性に一切明かすことなくプレイを楽しめるのが、この 「貸し出し」 プレイであるとも言えます。

 

あとは、「寝取られ」 にせよ 「寝取らせ」 にせよ、これらに類似の感覚が味わえる行為としては、自らもプレイに参加することにはなりますが、「スワッピング(swapping)」 日本語で言うと 「夫婦交換」 と呼ばれる行為なんかがあります。

今もあるのか分かりませんが、「月刊スウィンガー」 なんて雑誌は昔からありましたし、現在のハプバーに相当するものとしては、「同伴喫茶」 なるものもありました。

 

類似する行為は、昔からありました。

しかし最近の 「寝取られ」 や 「寝取らせ」 という区分は、以前は形態的に分類していたため、曖昧(あいまい)に捉(とらえ)えられていた行為が、行為者のスタンスやポジションといった主観的な観点から捉え直されていることによって、性的嗜好が、よりクリアとなり、再構築されているような印象を受けます。

 

***

 

では、「寝取られ」 と 「寝取らせ」 の違いは何か?

 

自分は、この道のマニアではありませんが、某 SNS 内で主宰しているコミュニティのメンバーにひとり、リアルで、どっぷりとはまってる人がいます。

彼曰(いわ)く、「寝取られ」 は、M (被虐的行為)で、「寝取らせ」 は、S (加虐的行為)であるとのこと。

SM では、相手を気持ち良くするにしても、責めるにしても、「使えるものは何でも使う」 みたいなところがあります。

自分に相手を気持ち良くさせる能力がないから、「電動おもちゃ」 を使っているわけでもありません。単に便利だから、合理的だから使っている。相手を心理的に追い込み、完全燃焼するという目的のためには、手段を選ばないし、自分のプライドや自己満足なんかは気にしない。

 

一般の人だと理解は難しいかも知れませんが、そんな境地にある 「責め手」 にとっては、「他人棒」 などと呼ぶらしいのですが、他の男のアソコなんかも、単なる 「肉で出来た道具」 と認識してしまうのです。

自分が支配する空間の中での出来事ですから、そこで 「これはオレのだ」 みたいな縄張り意識があるようでは、それこそ 「野暮」。

自分が所有する広大な土地で、そこを耕(たがや)している小作農に対し、毎回、「ここは俺さまの土地だ」 と念押ししているようなもんで、女々(めめ)し過ぎです(言い過ぎかっ((((;゚Д゚))))))))。

 

「寝取られ」 も 「寝取らせ」 も、ある意味、その 「他人棒」 を道具に使ったプレイと言っても過言ではないでしょう。

「寝取られ」 も 「寝取らせ」 も、自分の愛するパートナーが自分以外の異性と寝るという状況下で、自分の中の湧(わ)き上がってくるいろいろな複雑な感情に強い興奮を覚えるのでしょう。

 

「寝取られ」 であれ 「寝取らせ」 であれ、一番のポイントは、第三者の視点から、自分の愛するパートナーが気持ちよくなっているところを観察しているというところです。そして、もうひとつ重要なポイントは、そのパートナーが当人にとって掛け替えのない相手であるということです。

そこにパートナーを愛する気持ちがなければ、それは、単なる 「乱交」 に過ぎないということ。

 

「寝取られ」 であれ、「寝取らせ」 であれ、どちらも寝取らせているわけです。自(みずか)らを 「寝取られ」 と認識している人は主に被虐的な部分に喜びを、「寝取らせ」 と認識している人は加虐的あるいは支配的な部分に喜びを感じているというだけで、その実態は微妙です。

 

「寝取らせ」 的には、そこに美しさを感じているのかも知れません。あるいは、そのパートナーに快楽を与えていることで支配欲を満足しているのかも知れませんし、「間男(まおとこ)」 役あるいは 「当て馬」 役の 「寝取り男」 ののめり込み具合を実感することで、「そのパートナーを所有している」 という自分の優位性を楽しんでいるのかも知れません。

また、自分が見ているという状況下にある場合は、自分のパートナーに見られていることで羞恥するパートナーの反応を楽しんでいるのかも知れません。

 

「寝取られ」 的には、自分の愛するパートナーが自分以外の他の異性と気持ちよくなっていることによって、自分の嫉妬心を煽(あお)り、屈辱的な羞恥に強い性的興奮を覚えているのかも知れません。

また、中には、スイッチャーではありませんが、「寝取り」 プレイにおいては、被虐性を楽しみ、その後のカップル同士のプレイにおいては、それをネタにして相方を責めるような、加虐プレイを楽しむような人達もいるかも知れません。

 

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歳の差婚の夫婦などで、ご主人はもうダメだけども、まだ奥方は四十路の花盛り。ごく一般的な普通の家庭であれば、男として機能しない自分のことは棚にあげて 「不倫はいかん!」 となりそうなものですが、歳の差の乗り越えてまで繋がっているような夫婦の場合は、男の方も、「女性の性(さが)」 を十分理解しており、奥さんの外食を公認したりする了見の広い人も居たりします。

 

いろいろ夫婦やカップルがいると思いますが、ある意味、自分の都合で、パートナーを縛り付けようとしない思いやり。そういう配慮の出来る二人は、きっと深いレベルで心も繋がっているんだと思います。

 

行為や行動面だけを見て、SM を 「変態」 と片付けてしまうのは、とても容易(たやす)いこと。しかし、動物は道具も使わなければ、SM もしません。(笑)

ある意味、SM は、神の言いつけを破って、アダムとイブが 「禁断の木の実」 を食べたことによって 「知性」 を身に付けたことによる副作用みたいなもの。そして、SM は、肉体を超えて、自分のパートナーをとことん受け入れようとする 「心の行為」 であるように思えてなりません。

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