「甘える」 ことと 「甘え」 の違い
「甘える」 ことと、「甘え」 は違う
「甘える」 ことと、「甘え」 は違う。これは、自分の言葉ではなくて、何方(どなた)からか聞いた言葉なんですが、まさしくそう。
「甘え」 とは、「依存欲求」 です。
「甘え」 の起源は、「乳児と母親」 の関係に遡(さかのぼ)ると言われています。
乳児のときに、母親が自分から離れていくという体験を通じて、母親とは自分とは別の存在であることを認識し、そして、母親との一体感を求める気持ちが 「甘え」 の起源となっているそうです。このため、「甘え」 と同時に、他者に対する 「人見知り」 も始まると言われています。
そして、「甘える」 ことが許される関係と、「甘え」 が許されない関係を学び、また、「甘える」 ことが出来る関係にあっても、そこに、「第三者の立場」 にある人が絡んだり、「第三者の視点」 が持ち込まれると、「甘え」 が通じなくなる、といったことを学んでいくそうです。
しかし単に、「甘える」 ことと、「甘え」 は違う、と言われても、良い意味で 「甘える」 ことが下手な人も少なくないので、実に誤解を与えやすく、かつ、難しい言葉です。
「甘え下手」 の反対語は 「甘え上手」。すなわち、「甘え上手」 な人は、きれいな甘え方ができるということで、きちんと 「甘える」 ことと、「甘え」 の違いを理解している人なわけです。
一方の 「甘え下手」 な人はと言うと、さきほど ”良い意味で” と修飾しましたが、良い意味での 「甘え下手」 な人と、悪い意味での 「甘え下手」 な人に分けられます。
良い意味での 「甘え下手」 な人とは、人に甘えられない人のことであり、悪い意味での 「甘え下手」 とは、人に甘えてばかりの 「依存体質」 の人のこと。
世間一般で 「問題視」 されるのは、悪い意味での 「甘え下手」 の人達の方ですが、しかし、良い意味での 「甘え下手」 の人達だからといって安心しないで下さい。
「甘え下手」 であるよりは、「甘え上手」 である方がずっと良いのです。
「甘え下手」 と言うからには、やはり、いずれにしても、感情のコントロールがあまり上手くないということです。人は十人十色、百人居れば百様です。「甘え下手も個性」 と言われてしまえば、それまで。
しかし、「甘え」 は、何(いず)れにしても 「他人との関わり」 に関連する問題であるだけに重要です。
SM を愛好する者の視点から感じること。それは、良い意味での 「甘え下手」 の人に、「感情の抑制傾向」 が多く見られるということです。
そして、どうもその感情の抑制が、女性が 「イク」 ことを阻害しているらしいということです。
自分でする分には 「イける」 のに、男女のセッ○スとなると 「イけない」 という女性は、少なくありません。
「イけない」 女性の場合、女性器の神経の発達度合いや感度も関係する場合もありますし、心がブロックしてしまっている人も少なくありません。
そういう女性は、自分でする分には 「イける」 ので、「いつか、イけるでしょ・・・」 と軽く考えるようですが、人間とは、自分の身に付いたクセを直すのにも一苦労しますが、それ以上に性格を変えるなんていうのは至難(しなん)の業(わざ)、なわけです。
まあ、女性がイけない理由には、他にもたくさんあって、割合的には、自分のパートナーの道具や技術力の問題、あるいは、お互いの気持ちの問題等、相方(あいかた)に問題がある場合も少なくありません。
最近流行(はや)りの 「ゲスの不倫」 ではありませんが、パートナーを変えてみた途端(とたん)、相手の道具が奥に届いていなかったことを実感する女性も少なくはありませんし、夜の営みが、「入れて、腰を振って、出しておわり」 みたいな、男性的?なセッ○スであれば、余程(よほど)秒速でイクことの出来る女性でない限りは、イケなくて当たり前なわけです。
お互いに愛し愛され 「結婚」 したのであれば、男だから女だから、あるいは、お父さんだからお母さんだからなどと、どちらか一方の型にはめるのではなく、お互いが相手を思いやり、そして、相手を気持ち良くしてあげようという気概(きがい)も大切ですが、それと併(あわ)せて、お互いに 「上手に甘えること」 が大事だと思います。
(つづく)
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