2ntブログ
2017/04/28

インナーマザー

今まで自分が相手にしてきた愛奴の中には、「インナーマザー気質」 の人が少なからず、居たように思います。

 

インナーマザーとは?

 

「インナーマザー(Inner Mother)」 は、「インナーペアレント(Inner Parent)」 とも言われます。

 

 

「インナーマザー」 とは、自分の頭の中にある、自分が幼い頃の母親(親)の残像やイメージのこと。

しかし、これは、あくまでも実際の母親とは別の存在で、母親に対する罪悪感が子供の内心に取り込まれて、「~してはならない」 「~ねばならない」 的に、自分を批判したり束縛する過酷な批判者となっている負の残像やイメージを指して言うようです。

 

インナーマザーは、自分の無能や怠惰(たいだ)あるいは醜(みにく)さを責め立てます。
母親が無意識に言った、自分に対する評価、あるいは、兄弟姉妹同士の比較や期待。そういったものが、徐々(じょじょ)に

 

「他人に迷惑を掛けてはいけない。」

「どこに出しても恥ずかしくないように、しないといけない。」

「いつも、お行儀(ぎょうぎ)良くしていないといけない。」

 

といった 「暗黙のプレッシャー」 となって自分に圧(の)し掛かってくる。そしてその結果、常に自分に自信がなく、罪悪感や不安に苛(さいな)まれたり、自分や他人に完璧を求めたり、あるいは、他人の目を常に意識してしまったりする。拒食や過食に走ったりする場合も、あるといいます。

 

「いいママでなければならない。」

 

みたいなものも、もしかしたら、その延長かも知れません。

 

インナーマザーのメカニズム

 

「インナーマザー」 は、フロイトが、人の欲求や衝動を抑えて、自我を抑える働きをしているとする 「超自我(スーパーエゴ)」 と同一であるとする説もあります。


動物の中には、生まれたときに最初に見たものを 「親」 と認識する種も少なくありませんが、動物も、その後は、餌を取ったり、生き延びるための知恵を教え込みます。

生物学的に 「不完全な状態」 で生まれてくる人間の場合は、刷(す)り込みに掛かる時間も長く、また、情報量も多大ゆえに、重要な意味をもっているのかも知れません。


特に、「インナーマザー」 の影響を強く受ける女性の場合は、母親像や子育てといった母性にも強く関係している可能性もあります。
ネグレクト(児童虐待)を受けた女性が、本人はそのことに嫌悪(けんお)感を抱いているにもかかわらず、自分が母親になったときに、自分の子供に対しても同様の行為をしてしまう・・・と言ったことも聞きますし、また、拒食や過食といった摂食(せっしょく)障害も、格段に女性比率が高い。

 

母親(あるいは親)の期待に添い、あるいは褒(ほ)めて貰いたいという願望がエスカレートし過ぎた結果、欲求を必要以上に抑圧し過ぎてしまったり、あるいは、親のはめた枠に閉塞(へいそく)感を感じつつも、抵抗できない自分に対する憤(いきどお)りを感じたりとか、いろいろな理由が考えられますが、いずれにしても、そのストレスが許容量を超えたときに、逆方向への揺(ゆ)り戻しが起こる。


「インナーマザー」 が、フロイトのいう超自我と同一もしくはその一部であるとするならば、それは生物学的に 「不完全な状態」 で生まれてくる人間にとっては、避けることが出来ないものであり、また、必要不可欠なものと言えるのかも知れませんし、特に、女性にとっては、母性に絡む部分もあるだけに比重も高く、影響も大きいのかも知れません。

 

最近の研究で、女性がイク場合、理性をつかさどる前頭前野(ぜんとうぜんや)と、不安をつかさどる扁桃帯(へんとうたい)が機能停止を起こしていることが知られています。これは他の記事で以前にも何度かご紹介していますが、「インナーマザー」 は、まさしく、この理性と不安の双方に高圧的に訴えかけ、欲求を抑制しようとする心理です。

本来、これらは 「女性の防衛本能」 として機能している部分ですが、「インナーマザー」 による抑制が耐えられないほど高圧的なのか、あるいは、内なる自分である 「インナーチャイルド」 に決定的に満たされない部分があるのか、いずれにせよ、食欲や性欲といった欲求を含めて、スムーズなコントロールが出来なくなっているんだと思います。

個人のブログ記事ではありますが、「インナーマザーとは(NHK社会福祉ネットワーク)」 に、NHK で放送された特集番組の内容が、紹介されています。そこには、

「インナーマザーに悩む人はアラフォー世代に多いそうです。

とあります。この記事によると、NHK番組では、アラフォーに多く見られる理由を、「高度成長期」という時代背景に結び付けているようですが、自分はそう思いません。

単なる時代背景に結び着けるのであれば、それは一過性の社会現象と見ていることになるからです。

自分はもっと普遍的な現象であると認識しており、原因のひとつには、アラフォーの時期に起こる 「女性ホルモンの低下」 によるものと推測しています。

そして、女性ホルモンの低下に伴って、相対的に男性ホルモンの分泌比率が高くなる結果、女性は強い性の衝動を覚えることとなり、今まで自分を支配していたインターマザーとの直接対峙が起こり、緊張が高まってくるわけです。

インナーマザーとの葛藤(かっとう)

 

「インナーマザー」 は 「ダウナー」 に作用します。常に自分の欲求を抑え込もうとする存在です。

その束縛に違和感や反感を覚え、思春期に 「反抗」 して、簡単に脱皮してしまう女子もいます。簡単と言うと語弊(ごへい)があるかも知れません。既にその時点でストレスがいっぱいいっぱいになってるということです。

若者の場合、それを過ぎると、拒食や過食といった摂食障害あるいは自傷に走ったり、そうでなければ、毎日相手を 取っ替え引っ替えする 「場当たり的なセックス」 に走ったりしますが、そういった行動は、自分の中の 「インナーマザー」 への抵抗です。なので、どうしても 「自己破壊」 的側面が行動に現れてしまう。

しかし、これらの行為は、いっときの 「凌(しの)ぎ」 に過ぎません。なので、繰り返してしまう。

 

これらの苦しみは、ある意味 「産みの苦しみ」。

 

必要とされているのは、「インナーマザー」 の呪縛から逃れ、自立し自律できるだけの 「自分自身(アイデンティティ)」の確立なんです。

後天的ではあるけれども、しかし、簡単とは決して言えない自分の深層心理を自分で修正しようと苦しんでいるからなわけです。

インナーマザーの乗り越え方

では、「インナーマザー」 による苦しみを、どう乗り越えたらいいのか?
その中身は、最終的には、自分自身でしか修正できません。だから、それぞれ各自 「苦しんで下さい」 としか言えません。
そもそも多くの女性は 「理屈」 を嫌いますから、「理屈」 で説明すれば拒絶し、自分の経験則で説明すれば 「そんなの教科書にない」 と生意気を言い、最終的には、感覚と情で包んであげて、最後は力で押してあげないと、乗り越えられないのです。
ある意味、精神的な 「分娩(ぶんべん)」 です。(苦笑)
しかし、そこには、「最終的にこの人の言うことを信じて、自分でも頑張ろう」 という気概(きがい)がないことには始まらないのです。
頭では分かっていても、身体は動かないのです。不安があるから保証が欲しい。(苦笑)

簡単に書き換えさせてくれるのであれば、実に簡単。

① 人は弱い存在であり、人は誰しも完璧な人はいないものと認識すること。そして、自分もそうだし他人も含めて、不完全であることを許容すること。
② 社会と自分は、表と裏。それをきちんと認識して、自分だけ良ければ良いのではなく、また、自分が犠牲になれば良いわけでもない。周囲の人を気遣(きづか)いながら、お互いに相手の気持ちを尊重して、自分の欲求を満たすこと。他人にも優しく、自分にも優しく接しなさいということ。
③ 自分の行動を他人のせいにしないこと。

要は、自分の意思で、自己の責任で、美味しそうだと思ったのなら、その 「とんかつ」 を食べなさいということ。(笑)
自分の人生は、自分が決める。でも、家族がいるなら、家族のことも尊重するし、相手がいるなら、相手のことも尊重する。
他人を愛することが出来るなら、他人を愛するように、自分も愛しなさいということであり、自分を一番に愛しているヤツであるならば、自分を愛するように他人を愛しなさいということ。
自分が完璧と思ってるヤツは、自分が 「如何に不完全な存在」 であるかを認識し、自分が不完全と嘆(なげ)くヤツは、自分が出来ている部分を認識すること。

今現在、籠(かご)の中に居る人は、籠のドアが常に開いてることから目を背(そむ)けず、自分が籠の中にいることを籠のせいにしないこと。どういう意味かと言うと、自分の生きる方向は、自分で決められることを認識しなさい。そして、自分が決断出来ないことを、他人のせいにしてはいけないということ。

けれども、外の世界は案外 「過酷」 であり 「甘くはない」 ことを認識すること。

「インナーマザー」 の重圧に耐え切れないのであれば、その正しさを自分で検証して確認し、自分に不要だと判断したのであれば、自己責任で、そこを自分でぶち破りなさいということです。

でも、頭では理解してるようで、どうにも出来ない。それで、本能的に行き着いたと言うよりも、辿(たど)り着いた先が SM だったという人は少なくありません。

SM の世界へようこそ

ここで書いている話は、「インナーマザー」 という言葉が存在するから、その言葉を使って表現しているだけです。
「SM (サドマゾ)」 と言う言葉もそう。サディストの語源は、作家である 「サド侯爵(マルキ・ド・サド)」 が語源になっており、マゾヒストは、同じく作家であった 「マゾッホ」 が語源。
「SM」 という言葉が存在するから、その言葉を使って表現しているだけであって、SM 自体は欧州発祥のものではなく、人類にとって普遍的な行為です。

「SM する人には、病んでる人が多い」

そんな批評をもらうと、反論できないところもあります。拒食や過食といった摂食障害や自傷癖(へき)もあるし、欝(うつ)や双極性障害である場合も、なくはありません。比率は確かに少なくありません。
しかし、自分は、そういうのは、あくまでも医学的な治療を必要としている症状としか認識していません。ビタミンやミネラルが欠乏してるから、医療行為として、点滴で補充することが必要と認められるだけのこと。

逆に、いわゆるノーマルの人でも、突付(つつ)いた途端(とたん)、のめり込む人は少なくありません。

SM は、そういう意味では、民間療法的な側面もあります。しかし、民間療法であるがゆえに、藪医者(やぶいしゃ)が多いのも事実ですwww

きちんと、相手のことを尊重して、期待に応えてくれる 「SM バー」 もあれば、「赤頭巾(ずきん)ちゃん」 ではありませんが、「お婆ちゃん」 を装ってマネタイズ可能な獲物(えもの)を虎視眈々(こしたんたん)と狙ってる輩(やから)もいるようです。
SM は、そもそもは究極の 「秘め事」 であり、そして、浮世(うきよ)を捨てたゲスのやること。アンダーグラウンドな世界なのです。
なので、「お店」 はそのまま 「コミュニティ」 を意味します。金を使う客は好まれますが、しかし、金さえ払えば 「神様扱い」 するほど温(ぬる)くはありませんし、フェアでもありません。

しかし、縄でなく藁(わら)をも掴(つか)みたい人には、地域にも寄りますが、信頼できる方を紹介します。
服の上からですが、いろいろな色に染めた縄で若い子を縛って、みんなで楽しんでる信頼できるエロ縄師さんなんかもいます。
逆に、名前は有名ではあるものの 「裏事情」 を聞いてると、情けなくなるような緊縛師もいます。
きちんと鎮痛作用があって、副作用の少ないお薬を処方いたします。(笑)

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