SM とはなにか?(3)
前回の記事(「SM とは何か?(2)」)から、随分と間が空いてしまいました。
前回の記事を執筆していたときには、続きとして 「SM に隠されている女性をイかせる要素」 について書こうと思っていましたが、気が変わりました(苦笑)
最近、今まで付き合っていた彼氏というのが、ドS でいろいろと束縛を受けていた・・・という女性の方から相談があったこともあり、再整理してみたくなったというのが実情です。
何故定義が必要か? S だろうが、M だろうが、二人が楽しめているのであれば、それは 「なんちゃって SM」 であろうが、何だっていいんです。
定義が欲しくなるのは、やはり、誰かに伝える必要性があったとき。誰かに説明しようとすると、同時に 「自分は何者なんだ?」 という疑問が沸いてくるわけです。
他人の評価に裏打ちされたものではなく、自分を客観的に自己観察し、そこをきちんと把握することこそが、自分自身のアイデンティティの確立プロセスになるわけです。
ちなみに、ここに書いてる内容は、あくまでも自問自答の結果であり私見であります。(笑)
1.性格的 S は、S(性的サディズム)か?
まず言えることは、「強がり」 や 「目立ちたがり屋」 が S でもなければ、「引っ込み思案(じあん)」 や 「おとなしい」 のが M なのでもない。「気が強い」 とか 「気が弱い」、あるいは、「我が強い」 とか 「我が弱い」 ことは、S 性や M 性 とは直結しないということ。
攻撃性は、脅威(きょうい)を認識していることの裏返しなわけです。これはノルアドレナリンによる作用です。要は、脅威によって生存本能が刺激されている状態にあり、闘争逃避反応(fight or flight)と言いますが、闘争か逃走のいずれか迫られている状態なわけです。どんな脅威があるかと言うと、簡単に例えば、外敵(がいてき)の 「縄張(なわば)り」 への侵入なんかがそうです。
生存本能に関わる性衝動としては、種の保存に関わる性闘争的な要素もありますが、これは外的に対する反応ですが、この例として解りやすいのは 「俺の女に手を出すな」 みたいなやつです。しかし、これらは考えてみても分かるように、外敵に対して向けられるものです。
これに対して DV(ドメスティックバイオレンス)などの内向的な暴力は、「自己保身的欲求」 や 「ストレスの発散」 が底にあったりします。自己保身には、自己防衛的な本能が働きますので、内向きとは言え、本能的には敵と認識しているわけです。
いずれにしても、生存本能や闘争本能は、S (サディズム)には直接的には結びつかないということです。
オラオラ系の勘違いしている人たちの 「オラオラ行為」 は、オスの優位性を誇張しようとしているだけの、単なる求愛行為に過ぎません。
SM の S は、サディズム(加虐的性向)の S であり、SM の M はマゾヒズム(被虐的性向) の M。性向(せいこう)とは、性的嗜好であるので、性的興奮を感じるのが大前提なわけです。
男で言えば、勃(た)つか勃(た)たないか。
大事なのは、まず性的興奮を伴うか伴わないかです。
まあ、何に対しても勃(た)つ輩(やから)が居ると思えば、グダグダと並び立てた条件を全て満たさないと勃(た)たないと称する面倒な輩も居るので、世の中、 十把一絡(じゅっぱひとから)げに決め付けることは出来ませんが、簡単に言うとそういうこと。
加虐的な行為や状況に性的興奮を感じるのが、サディスト (加虐的性向者) であり、逆に被虐的な行為や状況に性的な興奮を感じるのは、マゾヒスト (被虐的性向者) です。
2.性交が先か、サディスティックが先か?
しかし例外もあります。
性交の手段として、暴力やサディスティックな行動に走りたいという願望がある人については、まあ、自分も男ですので、気持ちは分からなくもありません。しかし、それは所謂(いわゆる) 「欲求不満」 と言われるものであって、性交できないという現実からの逃避(とうひ)手段でしかありません。こういう方に対しては、手っ取り早く 「風俗」 にでも行って来て下さいとしか言いようがないのですが、しかし、こういう人たちの一部には、女性に対して、恐怖心や不潔(ふけつ)感を抱(いだ)いたりしていることによって、女性ときちんとした性交渉が持てなかったりする人達もいます。ある意味、女性に対してコンプレックスもしくはトラウマなどのストレスを抱(いだ)いている人達です。
そういう人達の場合は、自分の優位性が容易に確保できる、極めて劣勢と想定できるような女性に対してしか、牙(きば)を剥(む)くことが出来ません。また、その際は、尽(ことごと)く、女性をモノと見なして、罵(ののし)ったりします。
そういった行為上の特徴から、自分をサディストと誤認している人も、稀(まれ)に見掛けたりします。
もしかしたら、心理学的には、そう言ったトラウマの中に、サディズムの種となるような心理的な要因があったりするのかも知れません。それについては否定しませんし、判断が困難な場合もなくはありませんが、こういう場合は、加虐的行為は、性交を達成するための手段あるいはプロセスに過(す)ぎず、加虐行為自体で性的興奮を感じているわけではないことに、早く気がつくべきなんです。
そうしないと、次のステージには行けない。
自分ではなかなか出来ないけれども、自分の固定観念を否定し、そして自分の固定観念を破壊する。自己崩壊を何回も繰り返さないと、人は脱皮できないんです。要は、修羅場(しゅらば)を経験して、人は大きくなっていく。
ところが、自分が捨てられることに対して極度に恐れる気持ち。自分で自分を捨てることのできない、そういう恐怖心の強い人達は、そこで停滞してしまう。そして、その狭い世界の中で、逃げ場のない欲望が渦巻くんです。
悪いけど、どこまで自分が可愛いのかと(苦笑)
性交の手段として、暴力やサディスティックな行為が不可欠なひとは、単に 「やりたい気持ち」 が濃縮された 「やりたい」 けど、「やれない」 人達なわけであって、S ではないということ。
広場で見かける 「自称ドS」 は、そこまで過激ではないかも知れませんが、まあ単なる、狼になりきれない 「飢えた狼」 系。(苦笑) ほとんどは、そういう勘違いタイプです。
3.サディズムとは?
似非(えせ)でない 「真の S」 は、自身のサディスティックな行為に酔いしれるのではなく、サディスティックな行為に対する相手の反応に、興奮を覚えるわけです。
性交を必要としないとするストイックなまでの求道者も中には居るようです。自分はそこまで道を究(きわ)めるに至ってはおりませんが、性交を伴うとすれば、それは加虐的行為によって性的興奮が高まった結果。その延長線上に、性交が存在するだけの話です。
でも、自分自身、それが最初から分かっていたわけではありません。
ある意味、今だから、偉そうに言えるだけのことであって、10数年くらい前までは、それなりに苦しんでいました。
先輩A: 「ちょびちゃん。お前は解ってないね~。オンナゴコロをね~」
ちょび: 「だからなんなんですかぁ。オンナなんてみんなワガママじゃないっすか~」
先輩B: 「でもね、それが可愛いんだよね~。ちょびちゃさ、きちんと受け止めてあげてる?」
パワーでは、怖いものはありません。
抜かず7~8発は当たり前。
だけど、何故か、自分が心を寄せた女性は、自分よりはパワーがないはずの先輩に、皆、なびいていきました。(T_T)
(つづく)
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