体位の話(番外)- 江戸の性事情2
昨日の記事 「体位の話(番外)- 江戸の性事情1」 の続きです。
挿絵の図画は、前記事と同じく、文部科学省所管の 「国際日本文化研究センター」 が所蔵公開する春画の中から使用しています。
この画は、月岡雪鼎画 「女貞訓下所文庫(おんなていきんげしょぶんこ)」 (明和5(1768)年頃刊)の巻頭画の中の一枚です。
一見何か、とても 「クソ真面目」 な絵のように見えますが、拡大して良く見てみると、まるで 「ウォーリーを探せ」 みたいに、街中で 「セ/ックスをしているカップル」 がいたり、「竿を露出して歩いている男」 がいたり、笑えます。(笑)
良くみると、橋の上では、お姫様抱っこをして立位の状態で入れようとしているカップルがいますし、橋の欄干では、女性の片足を背後から取る 【後ろ矢筈】 の体位で、しているカップルもいます。橋の手前には、アソコを開帳する女性に、竿を勃てた男性が走って行くの図。(笑)
橋の左側にある茶屋では、女性が 【網代本手】 で男の脚を絡めとり、橋の手前の十字路では、アソコを勃てて放心するガキに、女性に自分の道具を見せてるおやじ。女性も覗き込んでいて、満更ではないご様子。(笑)
街道筋なのか、店が並ぶ入口には、キスをしあうカップルがいて、左隅には、女性の片足をすくい、【立ち鼎】 をするカップルが、右手に折れれば、なにやらこれから挿入しそうなカップルがいます。また、右手の茶屋で、膝を立てている女性も怪しいですし、もうひとつ右の島に行くと、今度は座敷に手をついて 【碁盤攻め】 で立ちバ/ックしているカップルがいます。
一方、河も上では、舟に乗った二人の男が射/精をしており、その右手には、女性を連れて舟に乗っている上級役人風の侍が、女性と 【鏡茶臼】 で交わっています。(笑)
前回の記事では簡単に、「奔放な江戸の性事情」 について説明しました。
これ以外にも、江戸時代、武士や僧侶の世界では、男同士の絆を深めるためと称して、「衆道(しゅどう)」 と呼ばれる 「男色」 行為、今の言葉で言うと、男同士が絡む 「BL(Boys' Love)」 も行われていましたし、
「乱/交」 もありました。
また、他人のセ/ックスを覗いたり覗かれたり、あるいは、それを見ながら自分でしてしまったり。
そんなのは何処にでもある、極めて 「日常的な光景」 だった時代と言えそうです。
当然、それだけ 「性」 に開放的なわけですから、男女どちらも、「浮気や不倫」 に走ったところで、良くある話。なんの不思議もありません。
下の2つの挿絵なんかは、巻頭画よろしく、半分は 「ジョーク」 なのかも知れませんが、部屋の壁にぽっかりと開いてる穴から、女性のアソコや、男性のアソコが顔を出しています。(笑)
女房には黙ってこっそりと、隣の奥さんのアソコに入れようとする旦那も旦那なら、
とぼけた顔をして、壁に開いた大きな穴に、自分のアソコを押し付けている隣の奥さんも奥さん。(笑)
「着物」 は、大変便利なもので、前を開(はだ)ければ、昔は着物の下に下着は着けておりませんので、簡単に交わることが出来そうですし、下の挿絵は 【立ち鼎(たちかなえ)】 ですが、【立ちどり】 のような体位で、女性が脚を男性の脚に絡みつけてしまえば、他からは見えません。
江戸時代の性具
では、当時 「オトナのおもちゃ」 には、どんなものがあったのでしょうか。
有名どころでは、今も熊本では販売されていますが、「肥後ずいき」 と呼ばれる、ずいき芋の弦(つる)を干して作った 「芋がら」 を編んだ 「張形(はりがた)」、今の時代で言う 「デ/ィルド―」 と呼ばれるものがあります。
「肥後ずいき」 は、熊本城を築城した 「加藤清正」 が徳川家に献上していたと言われる代物で、特に大奥では、大ヒット商品になったと言われています。(笑)
実際に使ったことはないのですが、これをしばらくお湯に漬け、戻してから使用すると、芋特有のネバネバが出るのだそうです。また、芋がらを使っているだけに、何処か痒(かゆ)みを覚えるという噂も聞いたことがあります。
こちらは普通に 「張形(はりがた)」 と呼ばれているもの。
一般に普及したものは、木製や陶器製だったようですが、大奥で使われたとされる、この張形は、色艶や透明度から 「べっ甲製」 のようです。
使うときは、これをお湯で温め、中に綿などを詰めて使用したようです。『
「なあんだっ、その程度か・・・」 などと侮(あなど)ってはいけません。(苦笑)
勿論、当時は、電池もモーターもありませんので、今のように 「バ/イブ」 も 「ロ/ーター」 もなければ、「電/マ」 なんかもありませんが。
この挿絵にも、「肥後ずいき」 が出て来ますが、これは、多分 「中折れ」 状態にでもあるのでしょう。芋がらをそのまま男性自身に巻き付けて使う使い方。
そして左側にあるのは、どのように装着するのかは分かりませんが、「鎧形(よろいがた)」 と呼ばれる、やはり中折れの補強を目的とした性具。
これらは、水牛の角や、ウミガメのべっ甲などが原材料として使用されたそうです。
そして、こちらはと言うと、男性の雁首が小さかったりする場合に、雁を雁太に補強したり、雁の効果を高める性具で、それぞれ 「兜形(かぶとがた)」、「琳(りん)の輪」、「ナマコの輪」 と呼ばれる性具。
こちらの図左側は、「久志理(くじり)」 と呼ばれる、指にはめて使うタイプの小型の 「張形」 で、紐で指に指に縛りつけれるようになっています。
この挿絵の右側は、「琳の玉(りんのたま)」 で、大きさの異なる金属製の玉で、女性のアソコに入れて使用する性具。性/交中、膣の中でふれあって妙音を発し、喜悦がますらしい。また、取り出すときは、女性がうつむき姿勢になり、尻をたたくと簡単に飛び出るとのこと。
そして図の左側は、女性同士が重なるときに使われる、「互い形(たがいかた)」 と呼ばれる性具で、今でいう 「双頭デ/ィルド」 です。
また、それ以外にも、この挿絵にある 「吾妻形(あずまがた)」 と呼ばれるのは、今で言う 「゙テンガ(TENGA)」 のことです。
江戸の性の文化
「江戸時代」 は、今の時代と比べれば、人の平均寿命も短かったですし、理不尽なことも多かったと思います。
江戸時代から明治あたりに掛けては、やはり医療の事情もあり、成人するまでに亡くなる子供も多かったこともあって、子供は10人近く産むのが当たり前。
人が 「生と死」 を常に意識していた時代です。
しかし、そんな中でも、「江戸の庶民」 は、「刹那的」 と言われようとも、男女で楽しむことを忘れず、「性」 を楽しむことで、「生」 を楽しんでいました。
江戸時代、「小股の切れ上がったイイ女」 とは、「小粋な女」 の代名詞でもありますが、江戸時代の 「粋な女」 とは、現代のように自分を高く見せようと、もったいぶって、お高く留まる女性ではなく、むしろ、誘いがあったら、
「アンタ、なかなか男前だね~」
と、直ぐに呼応する女性だったと言われています。
損得で考えるのが関西人なら、粋(イキ)か野暮(ヤボ)で考えるのが江戸っ子。
しかし関西人だって、「粋(スイ)」 と 「無粋(ブスイ)」 は区別します。
これらも元々は、人の情(じょう)の機微(きび)に触れ、それを思い遣る際の自己の判断基準のようなもの。そのまま、人の情を 「感情的」 に受け留めるのではなく、「損得」 であったり、「粋無粋」 といった価値観で篩(ふるい)に掛けて、自分にあった施(ほどこ)しをしたのが 「情け」 と言うもの。
人の情に触れ、人の身体に触れ、そして、身体を交わらせるのが 「セ/ックス」 です。
「好いた」、「惚れた」 でするのは、「野暮」 にでも出来る。「粋」 なところを惚れられて、「粋」 な女が、「野暮」 な男に掛けるのが 「情け」 というもの。
今の日本と比べると、江戸時代の庶民は、実におおらかで情緒豊かな 「セ/ックス」 を楽しんでいたように思います。
「セ/ックス」 は単なる排泄行為ではなく、心と身体による 究極の 「コミュニケーション」。
だからこそ当然、相手を 「思い遣る」 ことが大事になります。
(おわり)
―――
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