体位の話(番外)- 江戸の性事情1
昨日の 「体位の話(15)」 の続き、番外編その1です。
前回の記事は、自分の 「覚書き」 の意味もあって、「百手秘戯図」 など 「紅白譜」 の系統を紹介させて頂きました。
かなりボリュームがあったせいか、読者の方から、
「こんなに体位ってあるんですね!
知らない体位ばかりです!」
みたいな 「メッセージ」 を頂きましたが、混乱させてしまい、申し訳ございません。(苦笑)
ここでひとつ、確認させていただきたいことがあるのですが、
まず、これ等の 「体位」 というのは、必ずしも、女性なり男性が 「気持ち良くなるもの」 ばかりではないということです。
英語でいうと、「ポジション(position)」 とか 「ポーズ(pose)」 の意味合いが強く、一連の流れにおける 「シーン」 もしくは、そのときの 「恰好」 のように理解する方が、解りやすいかも知れません。
ですので、これらの 「体位」 は、全体の 「流れ」 の中の一部として捉える必要があるということ。
一番良い例が、次の体位です。(笑)
押し車
この 「押し車」 という体位の場合、
これは、わざわざこの 「体位」 で交わって 「気持ち良さ」 を味わうためのものではなく、他の体位で既に挿入している状態から、男性が一度はめた イチモツ を抜くことなく、何処か別の場所に移動するための体位(体勢) なのです。(笑)
***
また、読者の方から、
「江戸時代は、性に自由奔放だったのですね。」
というメッセージも頂きました。これは、まさしく 「その通り」 だと思います。
ということで、今回は 「江戸四十八手」 にちなみ、「体位の話」 の番外篇として、春画と呼ばれる浮世絵を通して 「江戸の性」 をご紹介したいと思います。
江戸の性事情
江戸時代に花開いた 「江戸」 の文化ですが、幕府は、儒教(朱子学)の影響もあるのでしょう。衣食住にわたり 「倹約質素」 な生活を是としますが、「宵越(よいご)しの金は持たない」 のを意気とする江戸の文化。
江戸時代の首都である 「江戸」、その江戸市中には 「八百八町(はっぴゃくやちょう)」 の町があったと言われていますが、多くは地方から出稼ぎに来た男ばかり。
18世紀初頭で、ロンドンの人口が86万人であるのに対して、江戸は推計ではあるものの、100万人 を超えており、男女の比率は、女3人に対して男5人。男女比は、ほぼ 1:2 の比率だったと言われています。
そして、その経済の発達を支える基礎、社会基盤となったのが、「水路」 です。
千葉県の野田は醤油で有名ですが、江戸時代は水路を活用したため、川沿いに産業が発展します。千葉の野田で作られた醤油は、「利根川」 を通り、江戸の町に運ばれ、そして 「小江戸」 と呼ばれる埼玉県の川越あたりまでも 「水路」 を利用して運ばれていました。
そんな多くの人が住む 「江戸」 の町ではありますが、夜の明かりは、ロウソクや油を灯した 「行灯(あんどん)」 程度ですし、スルことと言えば、男女の色事ぐらいしかありません。
「町屋(まちや)」 などの商家に住み込みで働くことを、「丁稚奉公(でっちぼうこう)」 [*1] と言いますが、地方からの出稼ぎ者の多くは、「女中(じょちゅう)」 や 「丁稚(でっち)」 として、住み込みで働きました。
[*1] 丁稚として奉公することから 「丁稚奉公」 と呼ばれたりもするが、正しくは 「年季奉公」 という。
女中や丁稚は皆若く独身ですから、男性の多い江戸の町。
今の男が 「エ/ロ本」 や 「エ/ロ画像」 を 「おかず」 に抜くように、当時は、「春画」 を 「おかず」 に自分で性/欲処理してました。
しかし、夜は長いうえに、そんな男女がひとつ屋根の下で寝置きしているわけですから、何もおきないはずがありません。「旦那(だんな)」 が若い女中に手を出したかと思えば、「女将(おかみ)」 は女将で、自分の気に入った若い丁稚に手を出したり、未経験者なら性の手ほどきをしたり。
女性にし/こられている若い男性は、恥ずかしいのか身体をよじり顔を伏せています。(笑)
当時の家は、木と紙と土で出来ているわけですから、「レオパレス21」 よろしく、隣近所の物音は筒抜けですし、覗き覗かれは当たり前。
まさに 「壁に耳あり障子(しょうじ)に目あり」 です。(笑)
こちらは、襖(ふすま)を少し開けての覗き見で、
こちらは、露骨にも障子(しょうじ)に穴を開けての覗き見です。(笑)
封建制で、目上の人の判断や指示は 「絶対」 でありますので、人目は気にしたでしょうが、女中や丁稚同士が好きあったとしても、別に不思議なことではありません。(笑)
聞き耳をたてながら、女性が自分のアソコをいじってます。女性の場合はまだ恥じらいがあり、慎ましやかな感じがしますが、
自分でし/こりながら、物欲しい顔で覗くとなると、結構露骨です。(苦笑)
丁稚奉公も終わって結婚したり、一人前になると、「長屋(ながや)」 に住むことも出来ますが、「長屋暮らし」 になっても、「向こう三軒両隣(りょうどなり)」 声は筒抜けですから、漏れ出る 「睦/言(むつごと)」 は他のひとに聞かれて当たり前、覗き覗かれの世界です。(笑)
当然、子供に見られることを気にしていては、セ/ックス出来ませんし、
子供にしてみれば、親はセックスしていて当たり前。
乳飲み子がいれば、母親は人前であろうが、乳/房を出して飲ませるのが当たり前の世界です。
そのためか当時は、女性の 「乳/房」 は子供のものという意識が強く、男は女の 「お/っぱい」 を見ても欲/情しなかったようです。(苦笑)
昭和の高度成長期でも、銀座のド真ん中でお乳をあげる女性は居ましたし、周囲のひとも、それに気遣ってか、ジロジロと見るようなことはしませんでした。
陰/茎極上品の図 ↓ 是也
乱/交もアリ。
昭和の初期まで、盆踊りなどの祭りの夜などに、既婚未婚を問わず村の男女が集まり 「乱/交」 する風習が残っていたところもあるそうですが、江戸時代もまさしく、そんな感じだったのでしょうか。
「奇習! 群馬に実在した「乱交祭り」の実態 ― 笛と太鼓と交わりの声」
日本人は風呂好きで、当時から大衆向けの 「公衆浴場」 文化もありました。
まだまだ続きます。
***
参考資料等
本記事では、文部科学省所管の 「国際日本文化研究センター」 が所蔵する蔵書で、「立命館大学アート・リサーチセンター」 が、文部科学省の共同利用・共同研究拠点「日本文化資源デジタル・アーカイブ研究拠点」 における活動の一環として、一般に公開している春画資料を参照しており、今回使用した図画は、月岡雪鼎(つきおか・せってい)作画で、明和1(1764)年頃刊行された 「艶道日夜女宝記(びどうにちやじょほうき)」 のものを使用しています。
(つづく)
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