体位の話(13)
昨日の 「体位の話(12)」 の続きです。
前回で、【乱れ牡丹】 と 【絞り芙蓉】 の違いがスッキリしたので、今回は 「座位」 の中でも、異色の体位を紹介したいと思います。
この体位は、自分が昔から、「してみたい」 のにもかかわらず、未だにしたことがない体位。
それは、
【坐禅転がし(ざぜんころがし)】 です。
一言 「座る」 と言っても、日本人の場合は、凄くバリエーションがあります。
「正座(せいざ)」 も 「胡坐(あくら)」 もそうですが、小/学校のときの 「体育座り」 もあれば、「ウンコ座り」 や 「蹲踞(そんきょ)」 の姿勢などもあります。
「体育座り」 や 「ウンコ座り」 に説明は不要でしょうが、「蹲踞(そんきょ)」 の姿勢はと言うと、こんな感じの姿勢を言います。
「座位」 にもいろいろあり、前々回の 「体位の話(11)」 では、「居茶臼」 と呼ばれる座位を紹介しましたが、「座位」 には、男性が 「胡坐(あぐら)」 を掻く体位の総称である 「櫓掛け(やぐらがけ)」 というタイプの 「座位」 もあります。
そして、今回紹介する 【坐禅転がし】 は、「江戸四十八手」 と呼ばれる、日本の古式の体位の中でも唯一、「坐禅(ざぜん)」 を用いる体位です。
「坐禅」 を知らない人は居ないと思いますが、一応念のため紹介すると、下の図のように足を組む座り方。
右の足を左の太ももの上にのせ、次に左の足を右の太ももの上にのせますが、乗せるときは勿論、外(はず)すときも手を使わないと外せません。
では、【坐禅転がし】 とは、どんな体位なのか。
【坐禅転がし】 とは、まさしく、この坐禅を組んだ状態で、前に転がされた(倒された)感じの体位なのです。
しかし、普通の 「坐禅」 であれば、両手は自由ですので、前に転がされても、手と両脚の膝(ひざ)で受けることが出来ますし、解(ほど)こうと思えば、自分で坐禅を解くことも出来るわけですが、問題は、座禅を組んで、後ろ手に縛られた場合、手が使えないので、自力では坐禅を解くことが出来ませんし、手で受けれないので、額(ひたい)や頭と膝(ひざ)だけで、身体を支えなければなりません。
もうそれだけで、身動きは適いませんし、裸で 【坐禅転がし】 をされてしまうと、脚は坐禅で開いて固定されている状態なので、お尻の穴から女性のアソコまでが丸見えです。
江戸時代、女囚は牢役人に裸にされ、坐禅に転がされて、同心や見張り番に見られては、辱(はずかし)めを受けたり、同心に後ろからされてしまう場合もあったそうです。
坐禅転がし
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自分がはじめて、【坐禅転がし】 の体位を見たのは、小/学生か中/学生のとき。
確か、本屋で立ち読みした、「SM本」 だったと思います。
まだ半ズボンを履いてたくらいの年齢なのに、半ズボンの中身をぱんぱんに膨らませての 「勃ち読み」 なんて、どうしようもないガキです。(笑)
子供心に、あまりにも衝撃的だった 「SM本」 ですが、巻頭の 「緊縛写真」 の類は好きでしたし、投稿記事的な調教日誌なども好きでしたが、唯一自分が不快に感じていたのが、「伊藤晴雨」 の地獄絵図的な 「責め絵」 でした。
その数ある 「責め絵」 の中でも、今でも記憶に残っているのが、この 【坐禅転がし】 なのです。
強盗にでも入られたのでしょう。
口には和手拭(てぬぐ)いで猿ぐつわをされ、「後ろ手」 に縛られて。
座禅(ざぜん)を組まされた女性が、そのまま前屈みに倒れた格好で、頭と組んだ坐禅の膝(ひざ)のみで、身体を支えていたように思います。
着物は下から捲(まく)られ、大きなお尻と女性の陰/部が丸見えになっている不条理な情景。
子供心ながらびも、その光景に凄く 「畏怖(いふ)」 と 「嫌悪」 を感じながらも、しかし、「性」 が醸し出す魅力と 「快楽」。
「エロティシズム」 を感じていたことは確かです。
しかし当時まだ 「子供」 だった自分には、「畏怖」 とか 「嫌悪」 の方が強く、まだとても怖い存在でした。今の言葉で言うとまさしく 「キモい」 という言葉がぴったり。(^^;
しかし、この年ともなると、子供の頃は 「嫌い」 であった 「責め絵」 に、どんどん魅力を感じるようになるのですから不思議です。
堕ちれば 「楽」 になることを、頭の片隅では解っていながらも、自尊心が邪魔をして、なかなか 「堕ちる」 ことの出来ない女性。
思えば、あの 「責め絵」 には、「不条理」 を受け容れざるを得ない女性と、それを受け容れることによって得られる 「快楽」 のようなものが、実に上手く表現されていたように思います。
ある意味、あの挿絵にある 「強盗」 は、雰囲気を盛り上げるために置かれた 「オマケ」 のようなものに過ぎません。
「死」 とか 「絶望」 とか、そういう 「ぎりぎり」 のところに 「希望」 というものがあり、そして、「粋(イキ)」 というものも、「野暮」 と 「粋」 の 「ぎりぎり」 のところに真骨頂がある。
女の 「セ/ックス」 の 「喜び(オーガズム)」 も、女が男と溶け合って、限りなく 「死」 に近い 「生」 の中で自我が崩壊し、二人の境界線が限りなく薄れたときに、訪れるような気がします。
***
ちなみに、「SM」 の 「緊縛」 では、「胡坐縛り(あぐらしばり)」 という縛り方があるので、後ろ手にとって 「胡坐縛り」 をして前に転がせば、似たような構図にはなるのですが、しかし、坐禅を組んで身動きの取れない 「凛(りん)」 とした感じがどうしても醸し出せないのです。
【坐禅転がし】 は、女性がされて、気持ち良くなるタイプの体位ではないと思います。
女性の羞恥心を高め、女性を辱(はずかし)め、そして、女性の尊厳を蔑(ないがし)ろにして、女性を弄(もてあそ)び、男が性欲を満たすための体位。
【坐禅転がし】 は、そんな極めつけの 「背徳的な体位」 なのだと思います。
(つづく)
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