多頭飼いの実際 (2)
前記事 「多頭飼いの実際」 の続きです。
共飼い・複数プレイが意図するもの
(1) どうして 「共飼い」 や 「複数プレイ」 をするのか?
理由は多分、人それぞれ。当たり前ですが、主催者の認識により異なります。
そもそも、全てが全て、人は一緒ではありません。
しかし誰しも、そんな 「深い」 ことを考えながら、やっているわけでもありません。
「やってみたかったから・・・」、「好きだから・・・」 とか、「楽しいから・・・」 とか、そんな返事しか返ってこないような気がします。
まずひとつには、「お祭り」 ではありませんが、やはり 「非日常」 性があるかも知れません。
一度経験してみると、何てことないのですが、経験したことのない人にしてみれば、やはり、同性を含めた他人の前で、裸体を晒すばかりか、「セ☆クス」 その他の性行為に興じるわけですから、まさしく 「非日常」。「変態」 が織り成す背徳の 「狂気の宴」 であり、「性の祭典」 と言えるかも知れません。
実際には多くの人が興味を持っています。
男性であれば、1度くらいは、「複数モノ」 の AV とかを見たり、あるいは、複数の女性と 「セ☆クス」 をする夢くらいは見たことあるでしょうし、女性も、誰にも言ったりはしませんが、白状させると、せめて一生に一回くらいは、複数の男性にされてみたい・・・ みたいな願望を持っていたりするものです。
但し、女性の場合は条件付きで、複数の男性と言えども、自分の好きな、自分が心を許せる男性でないといけないのが、厄介なところだったりします。(^^;)
興味があるのに、しかも、法律で禁止されているわけでもないのに、何か、そういうことは 「してはいけないこと」 のように刷り込まれてしまっているのは、実に不思議なものです。
「複数プレイ」 を実際に経験してみたいと思う人達は、「不文律」 ではありませんが、そういう 「既成概念」 から抜け出してみたいという思いが、何処かにあるのかも知れません。
ちなみに、ヒトの祖先は、類人猿の 「ボノボ」 にもっとも近いと言われています。
ボノボは、生殖目的以外にも 「セ☆クス」 することが知られており、テナガザルチンパンジーが 「一夫一婦制」、ゴリラが 「一夫多妻制」 を取るのに対して、ボノボは、「多夫多妻制(乱婚)」 と言われています。
今の若者風に言えば 「シェア」 してる感覚でしょうか?
ボノボに代表される 「多夫多妻制」 コミュニティの場合は、ヒトの祖先もそうですが、独占せずに、仲間同士でシェアすることによって、強い結び付きを持つコミュニティを形成していたと、考えられているそうです。
いろいろと屁理屈を並べてみましたが、「変態」 の行動を正当化するつもりは毛頭ありません。
要は、「複数プレイ」 に好奇心を覚えるか、それとも、「きもっ!きもっ!」 と拒絶反応を起こしてしまうかの違い。そして、好奇心を覚えただけで終わるか、行動に移してみるかだけの違いです。
(2) やってみると意外と大変
そんな 「複数プレイ」 ですが、実際にやってみると、プロの女性を複数呼ぶのとは全く訳が違います。
ちなみに、「ソー☆プランド」 などの風俗で、複数の女性と戯(たわむ)れる場合は、女性二人の場合は 「二輪車」、女性三人の場合は 「三輪車」、それ以上を 「大車輪」 と呼んで区別します。
これはこれで、何しろ無駄にお金が掛かりますし、お金があり、かつ、お金に執着しない人でないと出来ない 「豪快な遊び」 ということで、特に 「大車輪」 などは男の 「武勇伝」 に数えられるほどです。何故かと言えば、場末の安めの 「ソー☆プランド」 には、そんなに大勢が入れる広い浴場はないからです。
前回お話した 「秒速何とか男」 の 「6P」 などは、もしかしたら、この 「大車輪」 のノリだったのかも知れません。まあ、しかし、多くの人から掠(かす)め取った 「泡銭(あぶくぜに)」 で豪遊したところで、男としての価値は全く上がりませんので、とんだ勘違い野郎です。(苦笑)
風俗の場合は基本、女性から、客である男性に対するサービスが中心です。女性が気持ちよがる 「喘(あえ)ぎ声」 も、時間短縮技術であり、サービスのひとつです。(笑)
こういったプロの女性が、客である男性に求めるものは、サービスの対価としての 「お金」。
しかし、通常の 「複数プレイ」 において、参加者が求めるものは、「非日常」 的な 「快楽」 です。
「複数プレイ」 においては、「風俗」 のように、自分が大の字になっていれば、あとは全部 「嬢」 が滞(とどこお)りなく堪能させてくれる・・・、という代物(しろもの)でもありません。
参加者は、一方的にサービスを提供する必然性はありません。「複数プレイ」 は、みんなそれぞれ自分なりに求めて、積極的に楽しむ、というのが基本です。
そして、場が盛り上がるも、盛り上がらないも、主催者次第。リードするのは主催者の役目です。そのために、主催者は常に、ゲストを含めた参加者に気を配らないといけないわけです。
主催者に関して言えば、自分だけ気持ち良くなっていればいい、というものでもありません。
行為や形態は似ているかも知れませんが、内容的には全く非なるもの。
ゆえに、結構難しいのです。
(3) SM における 「複数プレイ」
SM に 「複数プレイ」 を持ち込む場合も、理由は、人によってさまざまでしょう。
自分の場合は、やはり、嫉妬心の調教を意識しています。
嫉妬は、愛情の裏返しでもあり、自己愛の片鱗(へんりん)でもあります。自分を愛するように、他人も愛することが出来るようになるのを理想とするならば、嫉妬は、強すぎてもいけないし、なさ過ぎてもいけないのです。
ゲストにとって 「複数プレイ」 は、「非日常」 という 「飴」 であっても、嫉妬心の強い奴隷にしてみれば、「複数プレイ」 は 「飴」 ではなくて 「鞭」 になりますし、被虐意識を好む奴隷にしてみれば、「複数プレイ」 は、「鞭」 と言うよりは、「苦い飴」 になります。
嫉妬心が強すぎるのは、良くありません。
自分は 「複数プレイ」 では、「奴隷」 を責める目的であれば、「縄」 でも 「鞭」 でも 「ロウソク」 でも、「おもちゃ系」 でも何でも使いますし、複数プレイの参加者として呼んだ男性のアソコであっても、自分は、「奴隷」 を責めるための 「単なる道具」 としか認識していません。
であるのにも拘わらず、「奴隷」 が、他の女性と交わる 「主」 を見て、嫉妬しているようなら、それは自ら 「奴隷失格」 であると宣言しているようなものです。
何故なら、相手の身になって相手のことを考えずに、自分の身で自分のことを考えているためです。優秀な 「奴隷」 でありたいのなら、「主が気持ち良くなることを、常に一番に考えなさい」 ということです。
しかし、嫉妬心がなさ過ぎるのも、良くありません。
それは、嫉妬心を持っている女性は、主にとっては、とても優秀なアシスタント役になるからです。
鞭打ちも、”女の気持ち” が入っていますから、自分がするよりも 「思いっきり」 が良くて、「キレ」 も良かったりします。(笑)
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