奴隷の一分(いちぶん)(3)
前記事 「奴隷の一分」、「奴隷の一分(2)」 の続きです。
奴隷に求められる視線
主が 「多頭飼い」 の場合、他の奴隷の存在が気になってしまうことは分かります。
もう空気のような存在となった 「自分の旦那」 には全く関心がなくなっていても、好きな人、お気に入りの人のことは常に気になってしまうのが、「女心」 というものです。
女性の頭は基本的には 「社会脳」 なので、状況を把握したい。そして、自分の立ち位置を確認したい。でも、地政学や権謀術数を駆使してでも、勝利を収めたいのかというとそうでもない。
少なくとも、独占できる環境下において、主を独占したいのであれば、そういうアプローチも有り得るかも知れません。
しかし、「多頭飼い」 は、変な例えを使うなら、クリニックの待合室のようなもの。
状況によっては、多少呼び出しの順番は変わる可能性もあるけれども、エロ医者でもない限りは、患者を特別扱いはしません。(苦笑)
その患者の症状や容態にあわせて、診療するだけです。
自分は自分、人は人なのです。
人ばかりを眺めて、人のことばかり気にしていては本末転倒。意味がありません。
奴隷が見なければいけないのは、他の奴隷ではなく、自分の主です。
気にするべきなのは、他の奴隷がどのような時間を過ごしているかではなく、主との二人だけの時間を如何に楽しむか、なのです。
運動会の 「駆(か)けっこ」 で、他のランナーが気になったからと言って、後ろを振り向いてはいけないのです。(苦笑)
ゴールに向かって、歯を食いしばって、ただ自分が走ることに集中すること。
競技ダンスなどでは、ひとつのテクニックなのかも知れませんが、しかし、審査員に対するアピールなどは姑息(こそく)。観客に対するアピールも必要ならば最後でいいんです。
ペアダンスの基本は 「二人の世界」 です。
女性の視線そして意識の先は常に男性です。
そして、その男性は、ただクールな面持ちのまま、女性をリードする。男性は主体ではないんです。あくまでも黒子。華は女性です。
男性は脇役。女性の存在を、女性の華を沸き立たせるのが男性の役割です。
「多頭飼い」 の主も、主とは言え、リードにおける主と従です。ある意味 「興行主」 みたいなもんであって、メインは女性。女性こそが主役なのです。
主と奴隷も同じこと。二人が踊っている最中は、それは 「二人の世界」 なのです。
奴隷は主のリードに集中して、蝶のように舞う。
二人の時間は、二人が楽しむためにあるのです。
そして、観客を意識した途端、二人の関係は魅せている存在から、見られている存在に変わってしまうのです。
スイッチが入っているときは、恥ずかしさも忘れるほどに 「集中」 し、スイッチを落としたら、全てを忘れて、日常の生活に戻る。
スイッチのオン・オフは、ある意味、「ハレ」 と 「ケ」 の関係。ウルトラマンと科学特捜隊の早田隊員、あるいは、ウルトラセブンとウルトラ警備隊の諸星弾隊員みたいなもんです。
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