2ntブログ
2017/06/23

「甘える」 ことと 「甘え」 の違い(5)

「甘える」 ことと 「甘え」 の違い。

 

長年 SM をしてると、いろいろな女性に出会います。

 

SM というと 「メンタルを病んでる子が多い」 みたいな偏見を持たれていたりしますが、しかし、そういった傾向がないわけでもないので、否定出来なかったりするのも事実です。
しかし、そもそも SM なんて、この世の 「生きづらさ」 を抱えている人達の 「寄せ集まり」 みたいなもの。逆に 「病んでいる」 人達は、普通の人よりも 「感受性の強い」 人達だったりもしますので、コントロール出来ている限りは、そもそも排除する理由も見当たりません。

 

自分が今まで出会った子の中にも、拒食症や過食症などの摂食障害の子はいましたし、自傷癖の子や依存体質の子もいました。
そこまで行かなくても、完璧主義の子や自分に自信をもてない子もいましたし、白黒つけないと気が済まなかったり、すぐ諦(あきら)めちゃう子に、泣きたくても泣けない子や、幼少時の性的なトラウマを抱えている子などなど。

 

どんな人でも、多かれ少なかれ、あるのかも知れません。

しかし、SM にたどり着く大部分の人は、何か心の中に、自分ではどうしようもない 「生きづらさ」 を感じているように感じます。ある意味、生き方が不器用(ぶきよう)な人達。

そして、M の子ってのは、自分を壊すことで困難を受け止めようとし、S の場合は、逆に自分が好きなものだろうと何だろうと、困難を丸ごと壊すことで、バランスを取ろうとしているのでしょうか。

それはまるで、道路の割れ目に落ちた種が根を伸ばし、芽を伸ばそうとする生きる苦しみであり、足掻(あが)きのような気がします。

 

SM を長年経験してて、思うこと。

 

全員が全員、同じだとは思いませんが、自分は、最初若い頃は、SM とは 「壊すもんだ」 と思っていました。しかし次第に、壊したあとには 「壊したもの」 を組み立てようとしている自分に気が付く。そして、いろいろと組み立てているうちに、それが、自分に都合の良いように組み立ててるわけではなく、「本来あるべき姿」 に戻そうとしている自分に気が付きました。

 

みんな、乾(かわ)いて飢えているのです。求めているものは、みんな 「愛」 だったりするのですが、そういう子の場合は、その先に、行く手(ゆくて)を阻(はば)む 「重い大きな石」 があったりする。

M の子は、その石を自分で降ろすことが出来ずに苦しんでるわけです。S の醍醐味は、その石を見つけ出して、その石を自分の火薬で砕いてあげること。

 

そして、以前より漠然としたイメージはあったのですが、最近思うことは、「愛」 で満たされたいという気持ちが、「代理欲求」 的な感じで、「食欲」 や 「性欲」 に繋がっているのではないかということ。

 

ここで 「代理欲求」 とは、「基本欲求」 が満たされない場合に、それに取って代わって取る行動を 「代償行動」 と言いますが、「代理欲求」 という考え方は、それを代替する別の欲求で満たそうとすること、を言います。しかし、この場合、「代償行動」 であれ 「代理欲求」 であれ、どちらも、「代わり」 に過ぎませんので、いくらこれらが満たされたとしても、そもそもの 「基本欲求」 が充足されることはありません。

そして、ここで、この 「基本欲求」 を満たそうとする行為を 「甘えさせる」、そして、「基本欲求」 とは異なる「代理欲求」 を満たそうとする行為を 「甘やかす」 と説明しようとする人達もいます。

 

実際、いろいろな女性と話をしてみると、結構、母娘の間で 「感情的に微妙なシコリ」 を抱(かか)えてたりするのを耳にします。心の中にある 「大きな重石」 についても、いろいろと話をしてみると、最後に 「お母さんとの関係」 に帰着するケースも少なくありません。

摂食障害の子もそうであったし、自傷癖のある子もそうでした。「脱皮」 と言う言葉が一番適切でしょうか。多くの女性が、幼少期に自分の母親から植え付けられた価値観から逃れようと、あるいは、本当の自分を取り戻そうと、足掻(あが)いているように感じるのです。

 

以前 「インナーマザー」 について記事を書きましたが、もしかしたら、良い子であれば、あるほど、お母さんに翻弄(ほんろう)されているかも知れませんし、また、心の深いところで、自分の心の中にある 「インナーマザー」 あるいは 「インナーペアレント」 と呼ばれるものが、自分の心の中で絶対的であるために、自分の自我を許容できなかったり、自立できなかったり、あるいは、そこから派生する自分の理想や価値観といったものから、抜け出せないのかも知れません。


前の記事 「『甘える』 ことと 『甘え』 の違い(4)」 では、「アタッチメント(愛着)理論」 を紹介しましたが、愛着に関連する実験のひとつに、人間に極めて近いとされる 「アカゲザル」 の赤ちゃんを使って、ハリー・ハーロー(Harry Harlow)が、生まれ立ての子供のサルの行動を観察した 「アカゲザルの愛着実験」 と呼ばれるものがあります。

 

これは、「ハードマザー」 と呼ばれる、針金で出来ているお母さんモデルに哺乳瓶をセットしたものと、「ソフトマザー」 と呼ばれる、ハードマザーの上に柔らかい毛布をかけたお母さんモデルを用意し、アカゲザルの赤ちゃんの行動を観察した実験ですが、アカゲザルの赤ちゃんは、お腹が空(す)くと、針金で出来たハードマザーのところでお乳を飲みますが、飲み終わるとすぐにソフトマザーのところに戻るんだそうです。また、赤ちゃんを驚かせたりすると、赤ちゃんが逃げ込むところも、ソフトマザーだったそうです。

それまでは、愛着が生じるのはミルクによるものと考えられていたそうなのですが、この実験から、赤ちゃんとお母さんの間の 「スキンシップ」 が重要であると認識されるようになります。

 

あとは、この実験の後日談として、ソフトマザーに愛着を覚えた赤ちゃんも、その後、成長するにつれて、自分を傷付けたり、仲間と付き合えないといった、さまざまな問題が出てきたそうです。 「愛の心理学-4つの愛着スタイルと愛着障害」 かささぎ心理相談室

 

***

 

「母という存在は、誰にとっても特別なもの。その母との絆が不安定になり、関係に悩み苦しむ 『母という病』 が近年増えています」 というのは、精神科医として京都医療少年院に勤務し、親子関係の問題を見つめてきた、医学博士で作家の岡田尊司氏が、自らの著書である 「母という病」 で述べている言葉です。

 

 

理不尽(りふじん)にも、女性に対して、母としての 「出産」・「子育て」 と同時に、嫁としての 「介護」、そして 「労働」 が求められている 「これからの日本」。

フランスのように、社会として子育てが出来るシステムもなければ、昔の日本のように、村で子供を育てるシステムも残っていません。ひとりひとりが、既にいっぱいいっぱいで、本来許されるはずの 「甘え」 さえもが許されない社会。

しかし、建前ばかりが先行し、人間の本質を見ない日本は、この先、どうなっちゃうんでしょうか?

 

(つづく)

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