愛のコリーダ (2)
「愛のコリーダ」 の続き
「阿部定(あべさだ)事件」。これは、首を締められて殺害された挙句(あげく)に陰部切断という、男性にしてみると大変ショッキングな事件です。事件が起きたのは、まだ昭和の初めの、昭和11年。まだ太平洋戦争に入る戦前の頃。
日本文化が色濃く残る時代とあってか、日本国内でもそうですが、海外でも、異常な性嗜好者による猟奇殺人的な、奇異(きい)の目で見られてしまうことの多い事件です。
しかし、定(さだ)の供述(きょうじゅつ)や、出所後の話を聞くと、これはやはり男女の逃避行(とうひこう)における純愛であり、痴情(ちじょう)のもつれ。そして男女のすれ違いと思えてなりません。
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石田は果たして、定(さだ)と本気で 「駆(か)け落(お)ち」 する気があったのか。
実際、定(さだ)の供述を読む限りにおいては、石田は、逃避行の最中にも、家に戻ろうとする素振(そぶ)りも見せたりします。また、他の女性にも手を出していたようなことを定(さだ)に言ったりしてますが、しかし、これは本当だったのかどうか、定かではありません。単に定(さだ)の関心を引き、女心を煽(あお)るための方便(ほうべん)であったかも知れません。
しかし、石田は、良くも悪くも、まるで、ちょっと粋(いき)な駆け落ちゴッコでもしているような、お遊び感覚に見受けられます。定の気持ちを、まるで単なる余興(よきょう)であるかのように、全てにおいて定を許容しています。
この時代、法律で施行(せこう)されていた 「姦通罪」 とは、徴兵(ちょうへい)を受けて出兵している最中に不貞(ふてい)を働こうとする夫人を罰することが目的であったことから、夫のいる婦人に対してのみ適用されるものでした。
このため、定(さだ)と石田の場合は、法的には 「姦通罪」 に問われません。
男女の双方を罰する、江戸時代の武家に適用されたご法度(はっと)とは、大きく異なります。むしろ、経済的に余裕のある旦那衆は、妾(めかけ)や愛人を囲って 「一人前」 とされていた時代です。
しかし、そうは言っても、浮気がばれてしまっては、主人の浮気を喜ぶ奥方などは何処(どこ)にもいませんし、定(さだ)は奉公人(ほうこうにん)の身ですので、他の奉公人の手前、顔が立ちませんので、当然、そのまま居座(いすわ)るわけにもいきません。
このため、定(さだ)は慌(あわ)てて奉公(ほうこう)先を飛び出し、一方の石田はと言うと、ほとぼりが冷めるのを待つくらいの軽い気持ち、あるいは、その間に定(さだ)といっぱい楽しもう程度の魂胆(こんたん)だったのではないかと思われます。
しかし、その遊びが遊びではなくなり、そして、どんどん、のっぴきならない状況に陥(おちい)っていくわけです。
では、二人に、どんな 「すれ違い」 あるいは 「誤算」 があったのか?
それは、定(さだ)が本気で、石田を愛してしまったことでしょう。このことは前記事にも書きましたが、定(さだ)が、相思相愛(そうしそうあい)で愛し合った最初で最後の男性が、石田だったわけです。
芸妓で娼妓の定(さだ)は、ある意味、セックスにおいては百戦錬磨(ひゃくせんれんま)のプロの女性です。
定(さだ)は、14歳のときに大学生に強姦され、傷物(きずもの)になってしまったという思いから、放蕩(ほうとう)を繰り返し、17歳のときに 「芸妓(げいぎ)」 となるも、その後、どんどん身を持ち崩し 「娼妓(しょうぎ)」(現在の娼婦) に落ちぶれて行きます。
場所も、横浜市中区の住吉町から長野に富山そして大阪市西成区の飛田新地に移り、その後は大阪・兵庫・名古屋の娼館を転々とします。
そして、その名古屋で、定(さだ)は、その後定(さだ)を立ち直らせるキッカケを作ることとなる、大宮五郎に出会います。定(さだ)は、大宮五郎に真面目な職業に就(つ)くように諭(さと)され、そして、新宿の口入屋(くちいれや)(現在で言う職業斡旋業)で紹介されたのが、石田が経営する中野の料亭 「吉田屋」 となるわけです。
定(さだ)にとって、大宮は定(さだ)を救った恩師であり、吉田屋で 「新たな人生」 をスタートさせた先で出会ったのが、石田吉蔵(いしだ・きちぞう)だったのです。
遊び上手で、女性の扱いも上手く、戯(じゃ)れ付く石田に対して、定(さだ)は初めて、男性との楽しい時間を過ごす喜びを感じ、好意を寄せたのかも知れません。
定(さだ)は、ようやくそれまでのトラウマを乗り越え、男性に心を開いた相手が石田だったのでしょう。当然、定(さだ)の恋心は、14歳の頃の童心(どうしん)に戻っていた筈(はず)です。石田は定(さだ)にとっては、最初の相思相愛(そうしそうあい)の相手であり、そして事件を通して、最後の相思相愛の相手となったのです。
石田にしても、そんなに純粋な乙女心を持つ定(さだ)が楽しくないわけがありません。
しかし、14歳の頃から事実上、心を閉ざしてきた定(さだ)はここで、それまでに経験したことのない、「女」 としての強い 「業(ごう)」 とも言える 「嫉妬」 や 「独占欲」 といった 「負の洗礼」 を浴びることになるわけです。
そして、タチが悪かったことに、定(さだ)は、身体的には十分開発されており、既に女性としての喜びとも言える 「オーガズム」 を感じることが出来る身体になっていたことです。
石田との逃避行で、誰にも邪魔されない濃厚な情事を重ねることで、定(さだ)は、心と身体の両方で溶け合っていたわけです。
当時、定(さだ)は齢(よわい)30くらいですが、開発具合から言えば、それこそ30代後半から40代前半。それこそ、女性に強い性欲が表れる 「女盛り」 であったことは想像に難(かた)くありません。(若干妄想気味ですが・・・^^; )
心がガッツリと入って、身体でもガッツリと 「イク」 わけですから、定(さだ)の脳内は、これまでには経験したことのない脳内麻薬でいっぱいいっぱいに溢(あふ)れていた筈ですし、それは、定(さだ)が今まで肉体的に感じていた性欲や快感とは、比べ物にならない経験だった筈です。
女性は、最後に 「イク」 ときには、理性のスイッチを切ります。しかし、そこに至るまでには、扁桃帯(へんとうたい)が司(つかさど)る 「不安」 と対峙(たいじ)することになるのです。
定(さだ)の悲劇は、それまでのトラウマによって、女性の嫉妬や独占欲を経験したことがなかったこと。ゆえに自分の嫉妬や独占欲をコントロールすることを、一切学べなかったことなのです。
定(さだ)の不安が、嫉妬や独占欲を刺激し、石田と添(そ)い遂(と)げることは出来ない。だから、彼を独占したいがゆえに一緒に死にたい。そういった漠然(ばくぜん)とした思考が、定(さだ)に包丁を用意させたのでしょう。
しかし、そういうある意味、定(さだ)のストレートな情交が、多分、石田に取ってはまたとても魅力的だったのでしょう。14歳の恋とときめく純粋なハートと共に、プロの技巧と、そして熟れて身体を併(あわ)せ持つ、美味しい女性なわけです。
お互いが意図せず、しかし、最高速度で二人はぶつかってしまったわけです。
これを縁と言うのか、業というのか、あるいは、運命の悪戯(いたずら)とでも言うのか。それは解りません。
しかし、定(さだ)は、坂口安吾との対談で、「後悔していない」 と言っています。
気丈(きじょう)な定(さだ)が、唯一、気を許したのが石田であり、そして、これ以上は有り得ない濃厚な愛を交歓したわけです。
当時もあったでしょうし、今なら尚更(なおさら)、「人を殺(あや)めておいて、後悔していないとは何ごとか!」 とクレームがいっぱい来そうですが、それは、結果的には、自分が最(もっと)も愛する人を失ってしまったわけだけれども、それは、殺めようとして殺めたのではない。偶発的な事故であり、そして、それはお互いの愛の結末だった・・・
そう言っているような気がします。
自分の認識としては、これは、お互いの身体を高めあうことの出来る、セックスに長けた男女同士が、無防備にも、お互いに心を惹きつけ合った結果起きた正面衝突事故。
もうこうなると、「運命のいたずら」 としか表現のしようがありません。
法的には、定(さだ)は殺人罪で服役していますし、倫理や宗教的には、二人とも罪に問われるのかも知れません。
しかし、もし自分が 「誰が最も罪深いか?」 と問われれば、自分は迷わず 「14歳のときに定(さだ)を強姦した慶応大学生」 と答えるでしょう。
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悲劇的ではあるけど、甘美で切ない不条理な世界。だからこそ、多くの小説家や映画監督がこの 「阿部定事件」 に」挑(いど)みたくなるのでしょう。
とは言え、首も締められたくなければ、アソコを切り取られたくもない。(苦笑)
自分は出来得(できう)れば、どんな形であれ、愛する女性とは、常に一緒でなくてもいい。しかし、出来るだけ長く一緒に寄り添える機会を維持したい、そんな風に思います。
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