2ntブログ
2017/09/15

ハレンチ学園

 

自分が小学生。多分、「ぴっかぴかの一年生」 の時分に、一番影響を受けたのが、永井豪の作品 「ハレンチ学園」 。

「少年ジャンプ」 での連載は、1968 年辺りから、TVドラマの放送は、1970年10月から、1971年4月まで〔東京12チャンネル〕らしいので、当時地方に住んでいた自分は、TVドラマは見れてません。

 

自分が見たのは、映画館。

しかし、小学校1年のガキが、どんなにねだったとしても、子供をこんな映画に連れて行く親なんて、今も昔もおりません。(苦笑)

 

自分がラッキーだったのは、当時のクラスメイトのお誕生会に呼ばれたこと。

おうちで映画館を経営(もしくは住み込み?)しており、タダで見せて貰ったのが、この 「ハレンチ学園」 の劇場版♪

当然、TVドラマと役者は被(かぶ)ってはいるものの、映画の方が過激だし、迫力が違います。

 

映画のストーリーなんかは、全然記憶にはないのですが、次の日、もう一度見たくて、顔パスだと思って映画館に入っていったら、従業員のお姉さんが呼びに来て、「タダなのは、昨日だけだからね・・・」 って言われて、すごすごと帰った記憶があります。(><)

 

ちなみに、自分もはまりましたが、この映画やTV番組がキッカケとなって、日本全国で 「スカートめくり」 が社会現象となります。

 

スカートをめくられて、「エッチ~~」 と言うようになったのは 「ハレンチ学園」 の影響です。

 

今は、「エッチする」 という動詞活用がメインで、「ちょめちょめする」 ことを指(さ)しますが、そもそもは、「エッチ」 とは 「変態」 の意味。「変態(Hentai)」 の頭文字をとって 「エッチ!」 みたいな言い回しで使われ出したものです。

なので、当時は、スカートをめくっても、その映画を見ていない女子には、「すけべ!変態!」 と罵(ののし)られていましたし、小学校3年になって、東京に引っ越したときは、「エッチ!すけべ!変態!」 と3連発で罵られていました。(^^;)

 

やはり、話題にはなった 「ハレンチ学園」 ではありますが、当時、TVドラマがあったとは言え、テレビは一家に一台です。親の目の前で堂々と見れるはずもありません。

「スカートめくり」 のクセが抜けたのは、その後、札幌オリンピックが終わって、札幌に引越してから。

東京なんかは、冬でも子供は、半ズボンにスカートがたくさんいましたが、しかし、北海道は気候が寒いせいか、女性もジャージで登校したり、ズボンを履いている子が多いのです。

 

***

 

「スカートめくり」 なんか何が楽しいの?

 

今でもたまに質問されることがありますが、自分の感覚としては、スカートで隠されているものを露出させる楽しさと、もうひとつは、相手の反応です。

相手の関心を引こう・・・と、意識してやっていたわけではありませんが、無意識ではあれ、そういう心理はあったかも知れません。あとは、相手の反応です。

スカートをめくっても、めくった人にはパンツはなかなかしっかりとは見えません。

むしろ、「キャーッ」 という悲鳴を聞いて、遠くで振り向いた人の方が、バッチリと見えているはずです。

 

もしかしたら、女性を突付いて、その反応を楽しむ・・・みたいな 「S 性」 は、その頃にもう身に付いてしまっていたのかも知れません。(苦笑)

 

***

 

たまたま、今日は、「某 SNS」 上の会話で、「『児島美ゆき』 は可愛かったね!」 なんて話から、そんな話を思い出してしまいました。

 

   

 

 

 

   

 

 

【補足】

 

補足ですが、「エッチ」 から派生して、「エッチする?」 みたいな表現は、80年代初頭では既に使っていましたが、意味合いは、「エッチなことをする?」 という意味で、イチャイチャしたり、「乳くりあう」 みたいなニュアンスでした。

 

あと、「児島美ゆき」 は、ウルトラセブンのアンヌ隊員で有名な 「ひし美ゆり子」 の次くらいに好きでした。アンヌ隊員こと 「ひし美ゆり子」 は、コチラ!

 

   

 

 

2017/09/05

FOREVER PPAP

いまさらながらの PPAP なのですが・・・

 

クソワロタ(笑)

 

 

あのリズムとノリではないのが、また、良いのかわかりませんが・・・

 

しかし、リハなし?でこういうのをやってしまうのは、人生楽しめてそう♪

2017/06/26

「桂歌丸が語る裸芸批判の真意」 の真意



「桂歌丸が語る裸芸批判の真意 『起用する側にも責任がある』」

 

「真意」 なんて書いてあるから、もっと深いワケがあるのかと思ったが、落語界や古巣の 「笑点」 に対する諌言(かんげん)とかなら、まだしも、「アキラ100%」 って下積み生活長くて、ようやく日の目を浴びた 「ぴん芸人」 でしょ?

 

「下積み」 の辛(つら)さや苦しさは、落語界の弟子入りとはまた違うかも知れないけれども、義理と人情と言葉で生きてきたはずの 「落語界」 の重鎮(じゅうちん)でもある歌丸師匠が、どうして、こんなに 「アキラ100%」 の芸を叩くのかね?

 

「嫌い」 なら 「嫌い」 と言うのも野暮(やぼ)だけど、こんだけ屁理屈つけられると気障(きざ)ったらしい嫌味(いやみ)しか残らない。

少なくとも伝統を重んじる 「江戸の噺家(はなしか)」 なんだったら、やっぱり 「粋(いき)」 でなくちゃいけないわけで。そこが抜けちまったら、そんなのは 「季語」 が抜けた俳句のようなもの。

 

この発言は、高座ではなくて、囲み取材の中で出てきたものなので、本音がポロリと出てしまったのでしょうか?

全文をきちんと載せてる記事とかもないので、検証すら出来ないんですけど、そもそも、あの会話は、やはり今まで落語を愛し、落語に精進してきた師匠が、落語界を奮起させてるメッセージなわけで、歌舞伎や能や狂言だけでなく、日本語を大切にする落語というものも伝統芸なんだから、精進しなさいという後進に対するメッセージだったんではないかとも思います。

 

***

 

歌丸師匠風に言わせて貰うとするなら、「言っちゃ失礼ですけど、裸でお盆を持って出てる人だけを、何故こんだけ叩くのか」

 

裸芸についても、いちゃもんが。

 

歌丸師匠: 「言っちゃ失礼ですけど、裸でお盆を持って出て何が芸なんですかね。あれを日本の文化だと思われたら困るんですよ。あんなのは酔っ払いがお座敷でやるようなもんですよ。・・・」

 

確かに、昭和の「宴会芸」 のたぐいではあります。(苦笑)
でも、最も古く、日本の書物に残る 「芸」 は、 「古事記」 や 「日本書紀」 にあるように、「日本最古の踊り子」 と言われ、「芸能の神様」 とも称される 「アメノウズメ」 が、天の岩屋戸(あまのいわやど) で踊った 「裸踊り」 です。

まあ、「アメノウズメ」 は女神ですので、もし、男がやったら、歌丸師匠が言うように大ブーイングだったかも知れませんが、しかし、もし 「笑い」 の根源が 「裸踊り」 にあるのだとしたら、歌丸師匠の言葉は、単に様式や格式に捉(とら)われただけの、古い価値観に過ぎません。

 

大正時代から続く、安来節にあわせて踊る 「どじょうすくい」 といった 「宴会芸」 も廃(すた)れる一方です。

 

歌丸師匠: 「それにああいう方がテレビに出れば、子供も観るじゃないですか。子供に『おもしろい』と思われたら大変な間違いですよ。親も一緒になって笑っているようじゃ、しょうがない。昔の親だったら『観ちゃいけない!』って叱っていたはずです」

 

まあ、キワモノなんてのは、「レーザーラモンHG」 みたいなのもいれば、「そんなの関係ねぇ」 ではないけど 「小島よしお」 だってそう。お盆でなくて、競泳パンツで隠してるだけです。

モッコリを見なくて済む分だけ、まだ、男にとっては見やすいってもんです。だって、他の男の股間なんか、はっきり言って見たくありませんから。(苦笑)

 

昔の親が 「観ちゃいけない」 と言っていた代表的な番組と言ったら、ドリフターズの 「8時だよ全員集合」 でしょう。(苦笑)

「火事と喧嘩(けんか)は江戸の華(はな)」 と言います。

どうせ、昔の親を持ち出すのであれば、落語界の師匠たるもの、「アキラ100%」 ではなくて、芸能界の重鎮ヅラしてる 「志村けん」 に喧嘩を売って下さい。(笑)

 

それに 「小島よしお」 が言ってましたが、子供を笑わすのは、なかなか骨が折れるそうで、舐めて掛かると痛い目にあうそうです。

むしろ、相手が子供であっても、軽視しない。そういう芸に対する真摯な姿勢は、とても大切だと思います。

 

笑いが取れなくて 「滑(すべ)る」 のは、野暮(やぼ)ったいから。

「ピン芸人」 を含め、今の 「お笑い芸人」 は、今の 「お笑い芸人」 なりに、タブーに切り込んで、今のメディアに合った 「今の時代の笑い」 を追及しているわけです。


落語は、言葉を通してお客様に 「笑っていただく」 のに対して、ああいう方は、「笑われている」 でもいいじゃないですか。(笑)

チャップリンのコケティッシュな動きにも似ています。言葉を使わずに表現する 「芸」 があっていいわけです。語りで、笑いを誘うのではなくて、不様(ぶざま)な自分の挙動を晒して、笑いを誘ってるだけです。

 

残る・残らない、残す・残さないなんてのも、未練です。

粋(すい)を極めているはずの師匠が、わざと未練を見せてるような気もします。

 

***

 

いろいろと愚痴(ぐち)を書き連(つら)ねましたが、しかし、書けば書くほど、言葉を商売道具としてる落語界の巨匠が、そんなに落ちぶれているはずもないことに気が付きます。

そして逆に、これは、噺家による 「完全なトーク(演目)」 だとすると、

 

「アキラ100%」 を非難する人達に寄り添うフリをしつ、実は、落語界の後進、そして、「アキラ100%」 他、今の 「お笑い芸人」 を応援し、言葉をうまく使う方法もあるということを示唆しているわけであり、放送局には、芸人文化を尊属させるためにも、もっと金を出せと言っているようにしか思えません。

 

落語の海外公演でも、日本語で落語をする必要性を、歌丸師匠は、「リズムや間合い、言い回し・・・」 と言っていますが、これは 「ピン芸人」 の所作(しょさ)そのものだと言えます。

 

全てが繋がるのです。

 

「言っちゃ失礼ですけど・・・」 とか、「もっと憎まれ口を叩かせてもらうと・・・」 と言いつつ、そのまま 「恨み辛み(うらみつらみ)」 を言うだけなら、噺家じゃなくても出来ます。

言いたかったのは、全てその逆説です。

 

そして、そうやって読むと、クソ真面目に何にでもケチをつける 「現代の日本の風潮」 を嘲け笑ってるようにも見えます。

なので、最後のオチも、きちんと付いてます。

 

歌丸師匠: 「度胸は認めますよ。よくあんなことやったなと(笑い)。でも、私は認めるわけにはいかない。私は『裸になれ』と言われても絶対無理だもん。私が裸になったら、学校の理科室みたいになっちゃうよ、ウェッヘッヘ!」

 

やっぱり 粋です。 がはははははっ (笑)

 

歌丸師匠は、呼吸器疾患ですから、一度呼吸が乱れると 「死ぬ」 ような苦しみを覚えるはずです。

入院中のベッドで、「アキラ100%」 の裸芸を見て、思わず笑って 「死ぬ」 ような苦しみを味わってしまったのであれば、歌丸師匠が仕返しをしたくなる気持ちも解ります。(笑)

そして、それに懲(こ)りて、昔の諸先輩方の落語でも聞いていたのでしょう。

歌丸師匠の、この炎上自体に、信念を貫けみたいな、師匠の深くて温かいメッセージが隠れていそうです。

2015/01/02

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2015/01/01

本ブログの目的

本ブログの目的

 

今まで自分なりにこの道(SM)を求め、彷徨(さまよ)って参りました。自分は、単なる一人のアマチュアに過ぎません。しかし、間にブランクはあったりはするものの、もう40年近くなります。

自分でいろいろ経験してきたもの。それを、言葉にし、整理してみたくなりました。

思い返せば、自分も昔、杯を傾けては、諸先輩方からいろいろと助言を戴きました。そこには当然、SM の話も多々ありましたが、異性にもてるコツみたいなものもあれば、人と人との接し方の基本みたいな、「男と女」 に共通する話、あるいは 「恋愛」 に纏わる話も多かったように思います。

その言葉の意味を理解し、自分の身とするまでには、いろいろと紆余曲折もありましたし、かなりの時間を要しました。

 

最近思うこと。それは、「世界中の女性を幸せにしてやるっ!」 などと気張ったところで、自分自身が、実際にお相手できる人の数なんて、ほんの一握りに過ぎないということ。苦笑

それならば、世の多くの女性を幸せにしたいのであれば、世の男性を仕込むしかない。笑

多くの人が、今よりも 「幸せな時間」 を過ごせるようになるのであれば、それに越したことはありません。

そのための、ヒントにでもなればいい。

このブログには、ピグの大人の部屋系談話室で、多くの人に語ってきたことを中心に書いていますが、自分の過去の経験や頭の中を整理したものについても ”出し惜しみせず” 書き綴っていきたいと思ってます。

 

ちょびわるオヤジ