2ntブログ
2018/03/06

良い 「セ☆クス」 と、悪い 「セ☆クス」

 

久し振りに、「セ☆クス」 や 「エロ」 絡みで納得のいく、「対談記事」 を読みました。(笑)

 

「幸せなセ☆クスは 『与えあう』、不幸せなセ☆クスは 『要求する』」

 

まあ、社会学者の 「宮台真司」 氏なので、安心できます。

彼がデビューした20数年前は、正論を吐きつつも、論理の多用が多く、新進気鋭というよりは、それ以上に尖(とんが)がっていましたが、もう、還暦前ですから、当然といったところなのでしょうか。

 

この対談は、どうやら、宮台氏と AV監督の二村ヒトシ氏の、お二人の共著である 「どうすれば愛しあえるの 幸せな性愛のヒント」 の出版記念イベントを取材したもののようです。

 

 

 

根底にあるのは、ジョルジュ・バタイユの思想

 

この本の構成は、実際にまだ、本を読んでいないので分かりませんが、宮台氏が、この対談で述べている

 

「性愛は、社会の 『外』。法(決まり)の外に出て自由になるために性愛がある ・・・」

 

という部分は、この記事の中では言及していないものの、ジョルジュ・バタイユ による、「エロスの哲学」 とも言える 「普遍経済的」 思想のことを表しています。

これは、以前、自分の過去の記事 「いつかはセ☆クスでイケるようになる?(7)」 ほか、幾つかの記事のところでも触れましたが、どういうものかと言うと、”近代の合理的な資本主義的な 「社会システム」 から排除されている、「蕩尽(とうじん)」、「祝祭」、「宗教」、「エロス」 や 「芸術」 といった 「ハレ」 にこそ、人の 「享楽」 や 「悦び」 といった、人の人生の 「豊かさ」 が隠れている” というものです。

 

「蕩尽(とうじん)」 と言うのは、最近はあまり聞かない言葉ですが、日常生活の社会的活動で貯め込んだものを、一気に消費することを言います。

昔の会社で言えば、会社がお金を出して従業員が行ったりした 「慰安旅行」 のようなものであったり、家族全員で行く 「家族旅行」 みたいなもんでしょうか?

女性の好きな、「何とか記念日」 における贅沢もそうですし、以前、「自分に対するご褒美」 みたいなのも一時期流行りましたが、これも 「ハレ」 であり、自分に買い与えるのは、「蕩尽」 と言えます。

 

「日本の SM」 で特徴的なのが 「羞恥心」 ですが、これは 「社会」 において、「禁」 を犯したときに感じる感情です。

「性愛」 は 「エ☆ロス」 であるので、「恥ずかしい!」 と思う気持ちは決して悪いことではありませんが、しかし、「ハレ」 であるにも拘わらず、「セ☆クス」 のときに、恥ずかしがってばかりいては、いけないと言うこと。むしろ、「ハレ」 である以上は、「お祭り」 と同様、普段抑圧されているものが解放されなければいけないわけです。

 

「SM」 もそうですが、「エ☆ロ」 は、悪いことではないけれども、「タブー」 であり続けなければいけないということです。

 

 

 

 

社会の 「外」 に出ると生きやすくなる

 

そして、この宮台氏らの対談で、「目から鱗」 だったのが、

 

「結婚がゴールであるような恋愛は社会の中でして、でも情熱やセ☆クスの動機づけは社会の外にある ・・・」

 

としている部分です。そして今、多くのひとは、その辺の訳が、分からなくなっているんだろうと、宮台氏は述べています。

 

社会の中で恋愛をするには、人目を気にしないといけない。世間から祝福されるような恋愛や結婚の相手と、いやらしいセックスをするのは違和感がある。なんだか興奮しない。だからセックスレスになってしまう……。

 

確かに、世界的に見ても、日本人ほど 「他人の目」 を意識する人種は他にはいません。

また 「少子化」 は、どの国においても、経済や文化の発展に応じて進んでいるものの、日本人の 「セ☆クスレス」 の比率の高さは異常です。

宮台氏の仮説には、なかなかの説得力があります。

 

 

良いセ☆クスは 「贈与」、悪いセ☆クスは 「交換」

 

そして、もうひとつの 「目から鱗」 は、相手に与える(奉納する) 「贈与」 としての 「セ☆クス」 と、見返りを求める 「等価交換」 としての 「セ☆クス」 について、論理的に説明出来ているところです。

 

これは、女性に多いかも知れません。多くの女性は全く意識していない可能性がありますし、手玉に取っているつもりかも知れませんが、遊び半分の甘えからであったとしても、「セ☆クス」 に 「条件」 を付けたり、「対価」 を求める言動に、男性は冷めるのです。

頭の回転が鈍かったり、空気の読めない男性がどのように感じるかは知りません。

ちなみに、正確に言うと、「お金で買える女性」 にそのように言われたとしても、何も感じませんし、「お金で処理しよう」 と認識している女性に、そのように言われたとしても、何も感じません。(苦笑)

 

女性が甘えたい場合は、事後に甘えることをお薦め致します ♪

 

ここで重要なことは、やはり、「ジョルジュ・バタイユ」 に行き着くのですが、「対価を求める行為」 すなわち 「交換」 は、表の 「経済活動」 に帰着するものであり、「ハレ」 を代表する 「蕩尽」、「祝祭」、「宗教」 などは 「贈与」 で成り立っているということです。

 

宮台氏らは、決して、見返りを求める 「セ☆クス」 の代表格とも言える 「売☆春」 が悪いと言っているわけではありません。

世の中に一番古くからある職業のトップが 「売☆春」 と言われています。二番目に古い職業は 「王」 だと言った人が居ましたが。ww

あくまでも、「セ☆クス」 には、「良いセ☆クス」 と 「悪いセ☆クス」 がある、という位置付けです。

 

「ジョルジュ・バタイユ」 風に言うと、「良いセ☆クス」 とは、「ハレ」 の行動であるのに対して、「悪いセ☆クス」 の方は、「ケ」 すなわち 日常的な活動、ということになりますが、そのココロは、やはり、「してくれたから、お返として 『する』 のではなく、お互い相手に対して奉仕(贈与)しなさい。」 と言うことなんだと思います。

 

***

 

自分は、複数の奴隷ちゃん相手に SM などに興じてる非道な 「はぐれクリスチャン(JWではない)」 ですが、こういう落とし所になると、主イエスが自ら弟子の足を洗い、言った言葉:

 

「主であり、師でもあるわたしがあなた方の足を洗ったのだから、あなた方も互いに足を洗い合わなければならない」(ヨハネによる福音書 13:14)

 

を引用したくなってしまうのですが、実際にキリスト教会に行って、今でもこの通りに 「主イエス」 の言いつけを守って、足を洗っている教会には、一度もお目にかかったことがありません。(苦笑)

 

***

 

宮台氏が、秀逸なのは、このあとに 「良いセ☆クス」 と 「悪いセ☆クス」 を説明するために、今、流行の 「セクハラ」 の話を持ち出してきているところです。

 

彼の解釈によると、「セクハラ」 とは、「日常社会の中での 『力関係』 を利用して、『社会の外』 の営みである 『性関係』 に利用しようとする行為だから、ダサい」 と 「一刀両断」 しているところです。

 

今まで、ここまで焦点がずれずに、「セクハラ」 の本質を言い表している説明に、出会ったことがありません。

 

ちなみに、彼らは、対談の中では、以下の映画について、論評しています。

 

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***

 

ちなみに、この記事の後半は、コチラです。(笑)

 

「自分の性体験を話してドン引きする男なら、すぐに切りなさい」

 

宮台氏お薦めの、男の選び方が書かれています。

 

女の心を自分の心に映し出せる力──G・H・ミードの「役割取得」──の有無を判別する簡単な方法。女が「複数プレイをしたことがある」とか「バイブを使ったことがある」と言うと引く男がいるから、それを切ればいい。まともな男なら、複数プレイやバイブで女が「何を」体験したのかに関心を寄せる。それで9割の男を切れる。簡単でしょ?

 

興味のある方は、是非、記事をまず読まれてみて下さい。

そして、宮台氏の論説に興味の沸いた方は、是非、この本を読まれてみて下さい。

まずは、近所の書店で探してみて、あったらお店で買う。

自分のご近所の小売店を大事にしてあげて下さい。

なかった場合だけで結構ですから、そのときは、下のリンクをクリックお願いします。(笑)

 

 

2018/03/05

「イジメ」 と 「SM」 の違い

「イジメ」 の話

 

実は、ついこのあいだも、ニュースで 「イジメ」 による 「自☆殺」 の記事を読んで、心を痛めておりました。

 

「中3自☆殺 十数人がいじめ加担・・・頻繁に悪口」

「広島の中3女生徒死亡、『いじめあった』 第三者審議会」

 

別の自☆殺関連の記事も読んでみましたが

 

「りゅうちぇるも共感 『いじめ気付いて』 島で育った10代女子の叫び」

「『いじめの証拠ない』 教師の一言に絶句 制服に忍ばせた IC レコーダー」

「『いじめられている人に頑張れって・・・』 立ち上がる2人、10代目線の相談アプリ開発へ」

 

やるせなくなります。

 

 

イジメは世の中から、なくならない

 

しかし、「イジメ」 という行為自体は、多分、この世からなくなることは決してありません。
 

「イジメ」 とは、集団を形成する上で、集団の中で「異質」 なものや、自分もしくは自分達と距離のある 「弱者」 を排除したり、あるいは、「見せしめ」 や 「踏み絵」 のための 「スケープゴート」 にする行為です。

 

集団の中で、「異質」 を排除する、あるいは、「劣勢」 なものを排除しようとするのは、「政治」 の基本です。人が大勢集まれば、そこには必ず意見や嗜好の違いによって、「政治」 が生じます。

そして、その集団内での立ち位置を確保するために、仲間を増やしたり、求心力を高めるために、異質や劣勢なものを排除しようとしたり、あるいは、逆に排除されたりするのが 「政治」 です。

 

筋や理屈が通っていたり、あるいは、ルールや規則に従った排除は 「政治」。ネガティブな感情による 「言葉」 や 「暴力」 による排斥は 「イジメ」 です。

 

「大人の世界」 であっても、「政治」 もあれば、「イジメ」 も、「喧嘩」 や 「闘争」 も、あります。

しかし、「大人の世界」 であれば、少なくとも 「法」 に則(のっと)っり、「仲裁」 や 「訴訟」 も可能です。

けれども、「子供の世界」 には、それがありません。

 

 

求められる学校の対応


学校内で 「イジメ」 がなくなれば、全て解決するわけではありません。学校の外での、地域における 「イジメ」 の問題を、学校で解決出来るわけではありません。

 

しかし、「イジメ」 が世の中からなくならないことと、学校内での 「イジメ」 の話は別です。

特に 「義務教育」 である小中学校は、「子供の社会」 の中心的な場であり、子供が自分の意思で抜け出すことが大変困難な環境であることから、「イジメ」 はより切実な問題になり得ることを、教育関係者はもっと認識すべきでしょう。

 

苛める側に、苛めるだけの何らかの感情的な理由があったとしても、「イジメ」 という選択は良くありませんし、苛められる側が悪い訳ではありませんが、しかし、どんな子供に対しても、「イジメ」 から逃れる 「最終手段」 を、きちんと用意しておくことは重要です。

 

 

SM と 「イジメ」
 

世の中を騒がせている、そんな 「イジメ」 問題ですが、「SM」 も外観から言えば、さほど 「イジメ」 と大きな違いはありません。

いやいや、見た目だけなら、「イジメ」 以上でしょうか?(苦笑)

 

言葉で弄(いじ)り、詰(なじ)り、罵(ののし)ったかと思えば、縄で縛りあげたり、拘束したり。叩かれるときもあれば、熱いロウソクを垂らされるときもありますし、前の穴や、後ろの穴に異物を突っ込まれたりすることも、しばしば(苦笑)

 

しかし、「イジメ」 と 「SM」 では、心理的な 「様相(ようそう)」 は全く異なります。

 

「SM プレイ」 の場合は、当たり前ですが、あくまでも、お互いの合意のもと、相手が許容し得る範囲で 「責める」 のが原則です。

相手が許容出来ない 「責め苦」 を与えて、恐怖で顔が引き攣(つ)るのを楽しむ世界ではありません。

 

自分の人格や人間性を否定され、ゴミくずのように扱われることで、心の安定を感じる人もいます。そういう 「M女」 に対しては、「詰(なじ)り」 や 「罵(ののし)り」 は有効ですが、そうでない 「M女」 に対しては、効力がないばかりか、白ける原因ともなり兼ねません。

拘束されて、叩かれたりして、初めて、生を実感すると共に、自分の欲求や感情を言葉に表せる人もいます。そういう 「M女」 に対しては、「鞭」 や 「スパンキング」 は有効ですが、「痛み」 を嫌う 「M女」 に対しては、逆効果でしかありません。

 

「SM」 と 「イジメ」 の一番大きな違いは、「責め手」 と 「受け手」 の間に 「信頼関係」 が確立しており、「コミュニケーション」 が成立していることです。

ここで言う 「コミュニケーション」 とは、言葉による 「コミュニケーション」 に限定されません。SM には、「責め手」 が言葉で責め、「受け手」 は身体の反応で返すといった、非言語的な 「コミュニケーション」 も数多く見られます。

 

これに対して、「イジメ」 の場合は、真逆です。苛める側と苛められる側の間には、「信頼関係」 は存在しませんし、「コミュニケーション」 も成立していません。

 

***

 

たまに、「SM」 と称して、交際相手の非をあげつらい、責めることで、相手を支配しようとする人達を見かけますが、それは、自分の言葉に酔っているような場合は、単に 「自己顕示欲」 を満たすための 「イジメ」 に過ぎませんし、肉体的な責めも、単なる 「虐待」 に過ぎません。

 

「SM」 の基本は、やはり、「飴と鞭」 の使い分けです。

 

青アザになるような、「鞭打ち」 も、それが好きな人にとっては、「飴」 なのです。

そして、そのような 「M女」 に対しては、「おあずけ」 が 「鞭」 になるわけです。

 

「SM調教」 とは、「SM的な責め」 によって、相手を憔悴(しょうすい)させたり、相手に何かを 「強要」 する行為ではなく、「SM的な責め」 によって、相手の快感が発露するように、徐々に慣らしていく行為です。

 

ましてや、自分勝手で、一人善がりな 「プレイ」 は、「SMプレイ」 とは呼びません。

2018/03/04

菌活

ここのところ、数年来、気に入ってるのが、「ホクトのきのこ」 の CM。中でも、「要潤」 と 「鈴木砂羽」 が演じる 「菌活」 シリーズ!なす

 

はっきり言って、下手なテレビドラマよりは、「演技」 がとても秀逸な CM だったのですが、視聴者からの 「クレーム攻撃」 にあい、遭(あ)えなく 「打ち切り」 となります。

 

記憶している範囲では、

 

        「昼間の時間から、流すのはやめて!」

        「子供に、どう説明して良いか、わからない!」

        「不潔!」

 

みたいな 「コメント(クレーム)」 だったと思いますが、その程度なら、「テレビ番組」 でも、昔からありました。その 「代表格」 が、「8時だよ!全員集合」 です。(笑)

 

自分が 「ガキ」 のときは、

 

        「こんな番組ばかり見てたら、”バカ” になるから、やめなさいっ!!」

 

とマジに親に怒られてました。(><)

 

 

 

 

 

横道に逸(そ)れました・・・

 

コレが 「菌活」 ですw

 

 

「ホクトのきのこ」 の CM に戻ります。

「論より証拠」。見たことがない方のために、張っておきます。w

 

 

 

世間の 「お母さま」 たちの気持ちも、分からないではありません。w

子供は、「空気」 も読めませんし、「忖度(そんたく)」 なども出来ませんので、ある意味 ”怖ろしい” 存在です。w

 

「お父さん」、あるいは、他の人が見ている前で、いきなりこの CM を指差して ・・・

 

        「あっ! この前のお母さんみたいっ!www」

 

みたいに騒ぎます。(爆)

 

しかし、だからと言って、子供を叱(しか)るのは、子供にとっては 「冤罪(えんざい)」 のようなものですし、CM のスポンサーにクレームするのも、やはり 「スジ」 違いというもの。

悪いのは、アナタ ですwwww

ばれないように、致して下さい♪(笑)

 

あと、「アメーバの運営」 さん・・・、「立派なきのこ」 は、こちらで提供しますので、早く、「エリンギ」 のイヤリングを作って下さい♪w

 

「愛はカツ!」 (笑)