他人と比べないこと
こんなタイトルにすると、
「多頭飼いのクセに、何を偉そうなことを!」
とか
「そもそも、オマエがそうさせているんじゃん!」
という読者の方の 「お叱りの声」 が聞こえてきそうです。(^^;
ごもっともなご意見ではあるのですが、まあ、「不快」 に感じるのであれば、そういう人のブログは読まない方が賢明です。(苦笑)
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世の中には、一生のうち、まったく浮気をしない男性も、中にはいるかも知れません。
自分も、処/女を旦那に捧げて、浮気の経験すらない女性を何人も抱いた経験があります。
「女の喜び」 を知った方が幸せなのか、それとも知らない方が幸せなのか。
どちらが幸せなのかは、そのひと次第だと思っています。
SM における多頭飼いも、いろいろなバリエーションがあります。
ツワモノの多頭飼いは、多頭飼いを公言し、どんどん奴隷同士を引き合わせます。
自分の場合は、多頭飼いを公言してはいますが、不要な争いを避ける意味で、誰が奴隷かは基本は教えません。
しかし、女性の勘は鋭いもので、嗅覚を働かせては他の相手を洗い出したりします。
「自分と話をしている時間、自分と会っている時間は、
オマエとだけの時間・・・」
この言葉に嘘偽りはありません。
会えなくても、どれだけ、耐えられるか。ツライことは百も承知の助です。
しかし、世の中 「辛抱」 も大事ですし、辛抱できるようになったら、辛抱強くなることが大事。
そして、辛抱するために、きっと来るであろう 「未来の幸せ」 な時間を見つめるのです。
何回も言っていますが、何でも 「クレクレ」 は、あかんのです。
「無償の愛」 を求めるのであれば、それこそ、神に誓って結婚したパートナーに対して、アナタの愛を捧げ、そして、その 「愛」 を求めなさい。
自分が出来ることは、満たされない愛の狭間(はざま)、心の隙間を埋めるだけなのです。
一時しのぎの、単なる 「コーキング剤」 に過ぎません。
そして、自分が出来ること。
それは出来るだけ、アナタが幸せになるように、「思考」 のヒントをあげること。
人は、「頭」 では、自分は理解したつもりになりますが、しかし、実は理解していないことの方が多いのです。自分で体験しないと、本当の意味が理解できないのです。
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「多頭飼い」 で、ライバルがいると思うと、それだけでも、女性の本能はいきり立つことでしょう。
むしろ、その感情は、自分に相対しているときよりも、ひとりで堪えているときの方が多いはずです。
確かに苦しいでしょう。しかし、世の中に、他人を自分の思い通りに縛り付けることが出来る人で、マトモな人は、いません。居るとしたら、暴力と脅迫と恐怖で、他人をコントロールしようとする連中です。
最終的に、自分を獲得する女性がいるとするならば、それは絶対に 「離れない」 という本人の意思のもとに、居続ける女性です。
まるで 「賃貸借契約」 のようですが、「来る者は拒まず、去る者は追わず」 を謳っている以上は、不法であろうが、占拠されてしまうと、どうにもこうにも、対処のしようがありません。w
何度もブログに書いていますが、独占欲は執着であり、女性に独占欲が強いのは、太古の昔から、女性が生き延びるための知恵だった。そういう側面もあります。
しかし、今の女性は、社会の 「結婚制度」 を勘違いして、パートナーになれば、「独占権」 が獲得できるもの理解しています。
しかし、それは違います。
現に浮気しているのは、男だけではないことは、女性自身が知っています。
そもそも、浮気をするためには、ノンケであれば、浮気男と同数の浮気女を必要とするのです。この場合、「風俗」 は浮気にカウントしていません。
職権やお金を使って、幼気(いたいけ)のない独身女性をたぶらかす 「既婚男」 も、いるでしょう。
女を騙して、自分の性欲を満たす輩は、ゲスを自認する自分から見ても 「最低」 だと思います。
昔は 「テレクラ」 なんかもありましたし、天下の 「NTT」 が 「ダイヤルQ2」 と称して、風俗営業サポートをしていた時代もありました。(笑)
そんな時代に、M に芽生えた若い子が電話してきて、「縛ってほしい!」 という、その子の願望には全く応えることなく、「やり逃げ」 するような、そんな、「ゲス中のゲス」 も、世の中には居るのです。
まだ、ワセワセと 「オトナのおもちゃ屋」 で、出来上がった状態で売っている 「緊縛セット」 なるものを買ってきた、全く緊縛経験のないオヤジの方が、オトナの良識を感じます。(笑)
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お酒(赤霧島)を飲みながら書いているので、話が長くなってしまいましたが、自分は、女性の願望を100%満たすことは、致しません。
女性の希望に添って、女性を100%気持ち良くしていたら、それこそ 「サービスのS」 になってしまいます。(苦笑)
しかし自分は、サービスの 「S」 ではなく、指揮者の 「S」 です。(笑)
そして、「 多頭飼い」 の方針を持っていることは、きちんと公言しています。
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そして、自分が今日、言いたいこと。
大事なのは、「今」 であり、そして 「二人の関係」 であり、「二人の時間」 である筈です。
そんなときに余所見して、他人を見て、「どうするんですか?」 と言うことです。
その裏には、「今のありのままの自分に、自信を持ちなさい・・・」 と言う意味が込められています。
自分に対する他人の評価によって、自分の価値を計ろうとしているから、自分の心が苦しくなるのです。
「ありのままの自分」
それは、アナタの 「エゴ」 のことではなく、むしろ、エゴを取っ去った最後に残る 「アナタ自身」 のことを言っているのです。
自分自身を、きちんと見極めている境地の人が、こういうことを言っています。
「デヴィ夫人の婚活論『人の彼氏を羨ましがる人は自分の幸せに気付けない』」
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その人には、その人なりの人生があります。
自分の存在は、その人の人生の中で、その人を輝かせる単なる 「スパイス」 のひとつに過ぎません。
バナナジュースであれば、お店で売ってるバナジューと、おうちで作るバナジューの違いは、ほんの数滴の 「バニラエッセンス」 の存在だったりしますし、トーストの違いも、パンの耳の脇に入れた、包丁の有無だったりするのです。
「一仕事の大切さ」
人生は、自分の感じ方、考え方次第で、天国にも地獄にもなります。
芥川龍之介の 「蜘蛛の糸」 ではありませんが、蜘蛛の糸の先を見ることは、ポジティ部な思考であることを意味し、蜘蛛の糸の下を見ることは、ネガティ部な思考を意味するのです。
何故、「蜘蛛の糸」 が切れたのか。
その 「摂理」 を考えてみるのも、悪くないと思います。